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坂本龍馬の北辰一刀流免許皆伝は、やはり事実だった! 

坂本龍馬の北辰一刀流免許皆伝は、やはり事実だった! _e0158128_21185141.jpg先ごろ、坂本龍馬の剣術の腕前を証明する資料が見つかり、話題になっているようです。
記事によれば、今年6月、高知県立坂本龍馬記念館が北海道に住む坂本家の子孫の方から寄贈を受けた資料の中に、かつて「北辰一刀流兵法皆伝」の巻物が実在したとの記述があり、その後、火災で失われたと説明されている文書が確認されたそうです。
嬉しいニュースですね。

幕末の剣豪、千葉周作が創始した北辰一刀流千葉道場で剣術を学んだ龍馬は、後世の証言などから剣の達人だったと伝えられますが、その一方、実際の目録や皆伝を示す史料が現存しないため、近年は疑問視する声が多くあがっていました。
剣の達人と言われながらも護身用にピストルを持ち、実際に剣を使って戦った逸話もなく、しかも、不意をつかれたとはいえ、近江屋でいとも簡単に刺客に討たれたことなどから、龍馬が剣の達人だったという説は、後世の物語が作り出した虚像なんじゃないか?・・・と。

実際、わたしたちが知る坂本龍馬の人物像というのは、以前も当ブログの「坂本龍馬の人物像についての考察。」の稿でも述べたとおり、虚実とり混ぜた物語の中からその「龍馬像」をもらっています。
とくにその「龍馬像」を決定的にしたものが、故・司馬遼太郎氏の代表作『竜馬がゆく』で、わたしたちの知る龍馬像はこの作品によって作られたと言われることに異論はありません。
ただ、その『竜馬がゆく』には、司馬氏の創作部分が多く入っており、世間一般の龍馬像に懐疑的な意見の方々は、それを根拠に批判します。
坂本龍馬を日本史上のスターにしたのは司馬遼太郎の大罪で、実際の坂本龍馬は、とくに大きな功績を残したわけでもなく、当時はそれほど重要視される人物ではなかった・・・と。

たしかに、司馬氏の描いた竜馬像のすべてを鵜呑みにするのは間違いだとは思います。
でも、司馬氏のファンの立場として反論させてもらうと、司馬氏は、『竜馬がゆく』を執筆するにあたって、一等資料だけでなく、ゴシップの類から新聞記事、龍馬の脱藩後に出かけた土地のそれぞれの郷土史までも、しらみつぶしに買い集め、その数およそ3000冊、重さにして約1トン、金額は昭和30年代当時で1000万円もかけたといいます。
手間を掛ければいいというものでもないかもしれませんが、少なくとも、司馬氏の描いたフィクションというのは、氏の想像の世界だけで創りだされた荒唐無稽なものではなく、莫大な史料の断片を繋ぎあわせて確立した龍馬像であり、限りなく実像に近い虚像だと、わたしは思います。

坂本龍馬の北辰一刀流免許皆伝は、やはり事実だった! _e0158128_21211559.jpg

京都の東山にある龍馬の墓所です。
ここには、幕末維新に殉じたそうそうたるメンバーの墓や慰霊碑が並んでいますが、その中で、最も大きな面積に祀られているのは木戸孝允ですが、龍馬と中岡慎太郎の墓も、いちばん見晴らしのいい場所に、特別扱いの様相で葬られています。
もし、当時の坂本龍馬が、とるに足らない人物だったのであれば、こんな墓の扱いではなかったのではないでしょうか?
ここへ来ると、いつもそう思います。

とにもかくにも、このたびの発見は、龍馬の実像にせまる大きな史料になりそうですね。
剣の達人論争も、これで決着になるかな。


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by sakanoueno-kumo | 2015-10-14 21:25 | 歴史考察 | Trackback | Comments(0)  

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