朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その4
さて、話をドラマに移して、主人公・あさの姉・はつについてですが、そのモデルとなった浅子の実の姉・春は、浅子が嫁いだ6日後に両替商の天王寺屋五兵衛に嫁ぎますが、25歳で早逝したそうです。
また、春は浅子にとって異母姉で、しかもその母は三井の女中だったそうで、父親は本妻の子である浅子を可愛がったといいます。
ドラマとはずいぶん違いますね。
天王寺屋廃業後に和歌山でみかん農園を作ったというのもフィクションで、実際には、関東に居を移したと言われているそうです。
ただ、明治10年(1877年)頃まで天王寺屋は存在したようで、でも、そのころ春はもうこの世にいませんから、天王寺屋の没落は知らなかったと思われます。
これが大河ドラマだったら、「史実と違う!」といった批判が集まっていたでしょうが、今回のドラマでは、「はつを死なせないで」という要望がNHKに殺到したとか。
大河ファンと違って朝ドラファンは鷹揚ですね(笑)。
まあ、名前も「浅子」と「春」ではなく、「あさ」と「はつ」。
あくまでモデルですからね。
ありなんじゃないかと。
実際、太陽と月のようなふたりの対比が、物語の核でもありましたしね。
加島屋の成長を照らす太陽があさなら、闇に落ちた山王寺屋を照らす月明かりがはつ。
太陽も月も、生きていくには大切な光です。
あさの夫・新次郎は、仕事嫌いの遊び人でありながらも、妻のいちばんの理解者として描かれていますが、実在の夫・信五郎も、毎日のように謡曲や茶の湯といった道楽三昧で、店の経営にはあまり無関心だったようです。
明治新政府の銀目廃止によって店先に客が殺到したとき、病床の父に変わってあさを表に立たせていましたが、これも実話どおり。
経営者としての浅子の能力を見込んでいたともとれますが、単に無責任な人だったのかもしれません(笑)。
でも、もし新五郎さんがやり手の敏腕経営者だったら、経営者・広岡浅子は生まれていなかったでしょう。
その意味では、やはり広岡浅子を生み出したのは、夫の広岡信五郎といえるでしょうか?
新次郎に恋心を抱きながら番頭の亀助と結婚したおふゆのモデルは、浅子の付き人として長年身の回りの世話をした小藤という女性がモデルだそうですが、この小藤という女性、実際には浅子の夫・信五郎の妾となって4人の子供を生んだそうです。
事業に忙しく家を空けることが多く、嫁として家の仕事を充分にできなかった浅子にかわって、小藤がその役割を担っていたそうで、浅子は小藤のこともその4人の子供のことも、終生かわいがったとか。
時代が違うと言ってしまえばそれまでですが、現代人には理解しがたい関係ですね。
当然、朝ドラ向きの話ではないので描かれません(笑)。
先日の稿でお話した五代友厚の女性関係についてもそうですが、こういう話を朝ドラでやると、視聴者がドン引きしちゃうのでしょう。
登校前の子どもも観てますしね。
やっぱ、朝は爽やか話でないと(笑)。
爽やかといえば、今回のAKB48の主題歌『365日の紙飛行機』は、爽やかないい曲ですね。
物語にぴったりな曲で、仕事中にも思わず口ずさんでしまっていました。
この曲、オジサン・オバサン世代にはどこか懐かしい歌なんですよね。
というのも、
♪あさ~の空を見あ~げて 今日という一日が~♪
♪いの~ち懸けてと~ ちか~った日から~♪
似てませんか(笑)?
♪人生は紙飛行機 願い乗せて飛んで行くよ
風の中を力の限り ただ進むだけ
その距離を競うより どう飛んだか どこを飛んだのか
それが一番大切なんだ さあ 心のままに 365日♪
いい歌詞ですね。
さて、ドラマはもうすぐクライマックスを迎えます。
最後までどんなびっくりポンな物語を見せてくれるか、楽しみに観ましょう。
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by sakanoueno-kumo | 2016-03-18 13:23 | その他ドラマ | Trackback | Comments(4)
あれ?
たしか、この稿を起稿したとき、どこかのサイトで読んだはずなんですが・・・。
いま、大同生命のHPを見返してみたら、おっしゃるっように謡曲しか記されていませんね。
どこで読んだのかなぁ・・・。
ご指摘ありがとうございます。
ソースが見つからないので、訂正させていただきます。
最後の歌のくだりについてですが、私もこの歌、最初に聞いた時からなんだか懐かしい気分になり気に入ってしまいました。
このブログ記事を読んで納得しました。北山修・加藤和彦だったのですね。なるほどでした。(^^)
でしょ?
メロディもコード進行もテンポもそっくりですよね。
AKB48の歌って、どこか昭和の匂いのする歌が多いですが、この歌はたぶん、『あの素晴らしい愛をもう一度』を意識して作ったものだと思います。
朝ドラの視聴層の心をつかむための策略に、まんまとハメられました(笑)。