備後福山城のまち逍遥備忘録 その5 「備後護国神社(阿部神社)」

福山城北側三の丸には、備後護国神社があります。

e0158128_11453518.jpg

ここは昭和32年(1957年)まで阿部神社と称えていましたが、護国の英霊と合祀され、社名が備後護国神社と改められました。


e0158128_11460671.jpg

そもそものはじまりは、文化10年(1813年)、福山藩主・阿部氏の遠祖である大彦命・武沼河別命・豊韓別命と歴代藩主を祀る勇鷹(いさたか)神社として創建されたことに始まります。


e0158128_11462130.jpg


その後、明治10年(1877年)に阿部神社と改称、県社に列しました。


e0158128_11473857.jpg


最初と2枚目の写真は西側にある備後護国神社としての正式な参道で、3枚目4枚目の写真は南側にある阿部神社の時代の参道です。


e0158128_11510639.jpg

拝殿本殿です。


e0158128_11545262.jpg

境内には、7代藩主・阿部正弘の石像があります。

福山城二の丸にも正弘の像がありましたが、あっちの方がイケメンでしたね。

でも、こっちのほうが肖像画に似てるかな?


e0158128_11555125.jpg

若干25歳で老中首座(現在でいえば内閣総理大臣)に就任した正弘は、ペリー来航にあたり日米和親条約を締結したことで知られています。

教育の重要性を早くから唱え、その人材を育てるために藩校・福山誠之館を創立しました。

そのため、現在では受験合格、学業成就の神として信仰されているそうです。


e0158128_11561387.jpg

そういえば、正弘は薩摩藩主・島津斉彬や水戸藩主・徳川斉昭とともに、日本の国旗を「日の丸」と制定した人物でもあります。

昨今の卒業式などで日の丸に敬意を払わない教員さんを見て、正弘はどう思うでしょうね。


e0158128_11593826.jpg

あと、境内には「宮本武蔵腰掛石」があります。

読んで字のごとく、宮本武蔵が座ったとされる石ですね。


e0158128_11595308.jpg

元和元年(1615年)の大坂夏の陣において、武蔵は水野勝成の陣に属したとい伝わり、その後、福山藩初代藩主となった勝成を訪ねて福山城を訪れた際、家老・中山将監の屋敷の庭園で腰を掛けた石が、この石なんだそうです。

実話かどうかはわかりませんが、NHK大河ドラマ『武蔵』のなかでも紹介されていました。

まあ、武蔵の伝説は全国各地にありますけどね。


そんなこんなで、シリーズはあと1回だけ続きます。




備後福山城のまち逍遥備忘録 その1 「本丸・伏見御殿跡」

備後福山城のまち逍遥備忘録 その2 「天守」

備後福山城のまち逍遥備忘録 その3 「二の丸」

備後福山城のまち逍遥備忘録 その4 「赤門・小丸山」

備後福山城のまち逍遥備忘録 その6 「水野勝成の墓所・聡敏神社」


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
   ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ


[PR]

by sakanoueno-kumo | 2016-04-28 16:12 | 広島の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

トラックバックURL : http://signboard.exblog.jp/tb/24338021
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]

<< 真田丸 第17話「再会」 ~秀... 備後福山城のまち逍遥備忘録 そ... >>