大和国、郡山城跡を歩く。 その3 「本丸(法印郭)」

郡山城の本丸は、堀を挟んで天守台のある西側と、法印郭、毘沙門郭のある東側に分かれます。

本稿では、城跡東側から本丸に向かいます。

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本丸東側の石垣です。

ここも「野面積み」ですね。

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写真は昭和62年(1987年)に復元された「追手向櫓」です。

青空に映えて美しいですね。

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その追手向櫓に繋がっているのが「追手門」、別名、「一庵丸門」とも「梅林門」とも言うそうです。

天正13年(1585年)8月、豊臣秀長が入城したときに、この場所に築かれたといわれますが、慶長20年(1615年)4月26日に起きた大坂夏の陣の前哨戦、郡山城の戦いの際に焼失。

その後、元和4年(1618年)に松平忠明が入封したとき再建され、「一庵丸門」と呼ばれたそうです。

更に時を経た享保9年(1724年)、柳沢吉里が入城した際、「梅林門」と名を変えました。

やがて明治に入って全ての建物が取り壊されましたが、昭和58年(1983年)に市民の寄付などにより復元されたそうです。


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外側から見た追手門。

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追手門側から見た「追手向櫓」です。

内枡形構造になっています。

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内側から見た追手門です。

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「法印郭跡」です。

写真は明治時代に建てられた旧奈良県立図書館跡で、現在は市民会館となっており、県指定の文化財になっています。

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法印郭南東隅にある、「追手東隅櫓」です。

こちらも、昭和59年(1984年)に復元されたものだそうです。

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かつては、「法印斜曲輪巽角櫓(ほういんななめのくるわたつみすみやぐら)」と呼ばれていたそうですが、柳沢吉里が入城した際、現在の名称になったそうです。

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豊臣秀長の時代、ここ法印郭に筆頭家老の桑山一庵法印良慶の屋敷があったとされ、法印曲輪または一庵丸と呼ばれるようになったそうです。

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鉄砲狭間が6ヶ所あります。

次回は法印郭の南に位置する毘沙門郭

をめぐります。



大和国、郡山城跡を歩く。 その1 「二の丸」

大和国、郡山城跡を歩く。 その2 「天守台」

大和国、郡山城跡を歩く。 その4 「本丸(毘沙門郭)」

大和国、郡山城跡を歩く。 その5 「本丸(主郭)」
大和国、郡山城跡を歩く。 その6 「三の丸・外堀」

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by sakanoueno-kumo | 2016-05-18 17:32 | 奈良の史跡・観光 | Comments(0)  

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