山崎合戦のまちを歩く。 その2 「大念寺~宝積寺」

登山口からしばらく急な坂道を登っていくと、これまた急勾配の石段があります。

ここを登ったところに、大念寺という小さなお寺があったので、立ち寄ってみました。


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大念寺は弘治元年(1555年)、この地に住む井尻但馬守長助が、京都知恩院徳誉光然上人を開山として建立したお寺だそうです。

本尊には「阿弥陀如来立像」(国指定の重要文化財)があるそうですが、拝観するには予約が必要だそうで、この日は見送り。


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小さな鐘楼があります。


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かつては力のあったお寺だったそうですが、元治元年(1864年)の「禁門の変」の際、長州藩士の一部が大念寺に布陣していたことで巻き込まれて焼失し、再興されたのは明治12年(1879年)になってからだったそうです。

当時、山崎地区は長州藩の屯所となっていました。


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大念寺からさらに坂を登ると、宝積寺という広い敷地を持つ立派な寺院があります。


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山門に立つ金剛力士像は鎌倉時代のものだそうで、重要文化財指定されています。


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山門から一直線にのびる参道の右側には、桃山時代の建築で重要文化財の三重塔があります。


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その側には、「豊臣秀吉一夜之塔」と書かれた立て札がありました。

なんでも、山崎合戦で明智光秀を討った羽柴(豊臣)秀吉が、その勝利を記念し、一夜で建立した塔なんだとか。

そんなわけないやろ!・・・と言うのは無粋というもの。

墨俣一夜城といい石垣山一夜城といい、秀吉は一夜で仕事を済ませる達人なんです(笑)。


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宝積寺は、奈良時代に聖武天皇が僧・行基に命じて建立したといわれる由緒ある古寺です。

この近くには、同じく行基が建てたと伝わる「山崎院」跡もあり、王山周辺は行基にゆかりの深い地なんだそうです。

ただ、宝積寺は貞永元年(1232年)の火災で行基時代の建造物はすべて焼失しており、現存する仏像等は、すべてそれ以降のものだそうです。


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天正10年(1582年)の山崎合戦では、ここに秀吉の本陣が置かれました。

その後、秀吉は天王山の山頂に山崎城を築城し、大坂城に移るまでの拠点としますが、その際、ここ宝積寺も城郭の一部として取り込まれたため、「宝寺城」とも呼ばれたそうです。


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「秀吉の出世石」だそうです。

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何の変哲もないただの石ですが、秀吉はこの石に座して天下統一を考えたんだそうです。

座るだけで史跡になっちゃう秀吉です(笑)。


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時代は進んで幕末の「禁門の変」の際には、尊皇攘夷派真木和泉を始めとする十七烈士らの陣地が置かれた歴史があり、また、大正4年(1915年)には夏目漱石がここを訪れ、「宝寺の隣に住んで桜哉」の句を詠みました。

1300年近く、ずっとこの地に歴史を刻んできたお寺なんですね。


次回に続きます。



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by sakanoueno-kumo | 2016-06-10 00:23 | 山崎合戦ゆかりの地 | Trackback(1) | Comments(4)  

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Tracked from 平太郎独白録 親愛なるア.. at 2016-06-13 14:35
タイトル : 多忙を極める中で見る猛暑の摂津路 その8
昨日の続きです。土地の老人に別れ際に、逆に天王山へ登る道について尋ねた所、「あなたの足なら20分くらいで登れる」、「ヒールで登る女の子もいる」などと仰るので、そんなに楽勝なのか・・・と思って、登り始めたところ・・・、「どこが20分やねん」状態で、11:35に登り初めて、頂上に着いたのが12:35・・・。丸々、1時間かかっとるやないかい・・・と(笑)。(←登り初めてすぐにある、通称、寶寺境内の五重塔。一句詠みたい心境でしたが、この日は例の京都府京田辺市で39.9度を記録した日でして・・・。)ちなみに、...... more
Commented by heitaroh at 2016-06-13 14:31
ああ、ここ、行かれたんですねえ。
私も10年ほど前に行ったのですが、当時はまさか、画像データなんて使うとは思ってなかったので、残してないんですよねえ。
そんなんばっかりです。
Commented by sakanoueno-kumo at 2016-06-13 21:44
> heitarohさん

えっ?
でも、TBいただいてる稿で、ちゃんと写真を載せておられるじゃないですか。
この稿のことは覚えています。
これを読んで、「天王山ってそんな簡単に登れるんだ!」ということを知り、いずれ訪れてみようと思いましたから。
ありがとうございます。
Commented by heitaroh at 2016-06-23 10:37
いえ、本当はもっとたくさん撮ってたんですが、手元にデータとして残してなかったので、ブログに残っている他はあまりパッとしたのがないんですよ。
ここはまあ、まだ、あるほうなんですが。川中島や上田城なんかも行ったんですが、まったく残ってません。
その意味では、ブログの存在価値を見直しました。ここにあげている限りは残ってますからねえ。
Commented by sakanoueno-kumo at 2016-06-23 20:40
> heitarohさん

なるほど。
おっしゃるとおりで、わたしも、ほどんど備忘録のつもりでブログにアップしています。
アルバムみたいなものですかね。
ただ、最近では、ブログに載せるために写真を撮るようになっていて、今度はそのデータ管理がたいへんになってます(笑)。

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