山崎合戦のまちを歩く。 その5 「禁門の変十七烈士之墓~酒解神社」

山崎合戦旗立松のすぐ上には、酒解神社大鳥居があります。

酒解神社は山崎の産土神で、大山崎町のある乙訓郡では最も古い神社だそうです。

ただ、この大鳥居は新しいもののようですね。

鳥居をくぐると、「その3」で紹介した道陶板絵図があります。


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大鳥居をあとにして山道を登っていくと分かれ道になっていて、標識を見ると、「十七烈士の墓を経て酒解神社」と書かれた誘導が・・・。

何かわからぬまま、そちらの誘導に従ってみました。


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で、石段を登ってみると、「禁門の変十七烈士之墓」とありました。


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思い出しました。

元治元年(1864年)7月19日に起きた「禁門の変(蛤御門の変)」のとき、山崎のまちには長州藩の陣所が布かれましたが、敗走する際、長州藩士じゃない真木和泉ら十数人が長州藩主力兵たちと山崎で分かれ、自刃したんですね。


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以前、あるブログで、この地に真木たちの墓があると紹介されていたのですが、すっかり忘れていました。


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説明看板のよると、長州藩主力兵たちを見送った真木以下17名は、禁裏のある京都の地を去るに忍びないとして天王山に登り、7月21日、幕府追討軍の来襲を前に、烈士そろってこの地で壮烈な自刃をとげた、とあります。

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その直後、敗兵掃討によって離宮八幡宮・神宮寺等の社寺や、民家200余戸を焼失した、と。


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埋葬されている志士17名を列挙すると、


土佐・千屋菊二郎菅原孝健

土佐・松山深蔵橘正夫

宇都宮・岸上弘安臣

宇都宮・廣田精一執中

土佐・能勢達太郎平成章

肥後・小坂小二郎源雄宗

久留米・加藤常吉任重

土佐・安藤真之助強怒

久留米・真木和泉守平保臣

久留米・松浦八郎寛敏

久留米・池尻茂四郎懋

筑前・松田五六郎

肥後・加屋四郎藤原時雄

肥後・中津彦太郎藤原義直

肥後・酒井荘之助

肥後・宮部春蔵

肥後・西嶌亀太郎


だそうです。

幕末が好きなわたしですが、残念ながら、真木和泉以外で知っていたのは、土佐の千屋菊二郎菅原孝健(菊次郎?)くらいでした。

調べてみると、肥後の宮部春蔵という人は、宮部鼎蔵実弟だそうです。

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真木和泉の墓石です。


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彼らが自刃してから151年が経ちますが、山の風景はきっと当時とそう変わらず時がとまったままで、いまでも彼らの無念の叫びが聞こえてきそうです。


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墓を過ぎたところにある三社宮です。

三社とは、天照大神・月讀大神・蛭子神だそうです。


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で、酒解神社のお社が見えてきました。


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が、残念ながら改装工事中で、本堂の中はみれませんでした。


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説明板によると、ここは山崎地方で最も古い神社で、創建は奈良時代だそうです。
詳しくは看板をお読みください(笑)。


酒解神社を過ぎると、いよいよ山頂です。

次回に続きます。

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by sakanoueno-kumo | 2016-07-01 18:24 | 山崎合戦ゆかりの地 | Trackback | Comments(2)  

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Commented by heitaroh at 2016-07-15 20:13
宮部春蔵は宮部鼎蔵の弟ですよ。
Commented by sakanoueno-kumo at 2016-07-15 20:52
> heitarohさん

だそうですね。
今回調べてみて知りました。

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