山崎合戦のまちを歩く。 その6 「天王山山頂(山崎城跡)」

山崎の戦いで明智光秀に勝利した羽柴(豊臣)秀吉は、天王山山頂に天守を持つ城を築きます。

この城は山崎城とも天王山城ともいい、のちに大坂城が築かれるまでの秀吉の本拠地となりました。


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酒解神社を過ぎたあたりから、いくつもの曲輪跡らしき遺構が確認できます。


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土塁っぽいですね。


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山頂に繋がる登り口、どうやらここが虎口のようです。


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山頂にあがると、主郭跡は広場になっています。

この日はたいへんいい天気だったので、ハイキング客で賑わっていました。


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説明看板です。


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こちらは縄張り図


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主郭の北側は、さらに盛り上がった丘になっています。

縄張り図によると、ここが天守台のようです。


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中央には、「天王山山頂、標高270.4メートル」と書かれた標識が建てられていました。


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こちらは井戸跡


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主郭の周りには、土塁跡が確認できます。


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秀吉がこの地を本拠地としたのは、わずか2年ほど。

天正12年(1584年)4月には、山崎城は破却されてしまいます。

このとき、山崎城の天守も取り壊されたと伝わり、どの程度の規模かは定かではありませんが、天守があったことがわかっています。

山崎地方では、この地は字古城と呼ばれ、その後も城跡と認識されていました。

わずか2年の歴史しかない山崎城ですが、秀吉の天下統一の出発点として、歴史に大きな存在感を残しています。


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ゆっくり史跡を見ながらの登山だったので、麓から山頂まで1時間ほどかかりましたが、帰路は20分ほどで下山できました。

帰りに宝積寺によって、こんなものをいただきました。


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天王山登頂証明書

天王山を制覇しちゃいました(笑)。

でも、何度もいいますが、天下分け目「関ヶ原」です!


さて、天王山を制覇したので、次回からは周辺史跡をめぐります。




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by sakanoueno-kumo | 2016-07-07 07:12 | 山崎合戦ゆかりの地 | Trackback | Comments(2)  

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Commented by heitaroh at 2016-07-15 20:10
登頂証明書なんかあるんですか!私の時はこんなのなかったなあ。どこにも「あげます」なんて書いてなかったし。
Commented by sakanoueno-kumo at 2016-07-15 20:52
> heitarohさん

たまたま下山道で立て札を見つけて、寄ってみたら貰えました。
何十円か掛かりましたが。
まあ、話のネタです(笑)。

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