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真田丸 第41話「入城」 ~九度山村脱出と真田家嫡男問題~

 「方広寺鐘銘事件」徳川家との関係が急速に悪化した豊臣家は、旧豊臣恩顧の大名たちを味方に引き入れようと試みますが、そのすべてに拒否されてしまいます。そこで、淀殿豊臣秀頼の側近・大野治長は、浪人たちを大坂城に招いて軍備を整える計画を立てます。関ケ原の戦い以降、西軍に加担して改易減封となった武将たちが、他家に召し抱えられずに牢人として全国に多く潜んでいました。それらの浪人たちは当然、江戸幕府を苦々しく思っており、起死回生のタイミングを待っていました。彼らにしてみれば、大坂城からの招集は願ってもないチャンスだったわけです。


真田丸 第41話「入城」 ~九度山村脱出と真田家嫡男問題~_e0158128_02593242.jpg 九度山村にて不遇をかこっていた真田信繫(幸村)のもとにも、大坂城からの密使かやってきます。そして、信繁に大坂城入りしてもらう支度金として黄金200枚、銀30貫を贈ったといいます。現在の価値で5億円以上だそうで、これを信繁をはじめ浪人たちにバラまいてたわけですから、いまだ豊臣の財力が衰え知らずだったことがうかがえます。大金をもらったからというわけではないでしょうが、信繁はこの要請を快諾し、慶長19年(1614年)10月9日に九度山村を脱出、大坂城に向かいます。


 信繁が九度山村を脱出した方法については、様々な伝承が残っていますが、その最も有名なものとしては、九度山村の庄屋、百姓たちを招待してをふるまい、彼らが酔いつぶれて寝込んだ隙に脱出したというもの。ドラマでも、この伝承をベースにしていましたね。この話は、信繁が死んで60年以上のちに編纂された戦国武将の逸話集『武辺拙聞書』によるものです。実際には、信繁たちを監視する代官もいたはずで(ドラマではその代官にも酒を飲ませていましたが)、もしこれが実話なら、信繁の監視を任されていた浅野家は、幕府から相当なお咎めを受けていたことでしょう。たぶん、後世の創作でしょうね。実際のところは、大坂の陣以前は、真田信繁という存在など幕府はさして重要視しておらず、監視もそれほど厳重ではなかったため、脱出もそれほど難しいことではなかった、といったところではないでしょうか?


 ただ、九度山村から信繁に従って大坂城に入った百姓がいたという話は『蜂須賀家文書』のなかに見られ、『九度山町史』にも記されているそうです。これは十分に考えられる話ですよね。九度山村で暮らすこと十余年。地元農民との交流のなかで、心を通じ合わせていたとしても何ら不思議ではありません。のちの大阪の陣における真田隊の結束などを見ても、信繁は人を引きつける魅力を持った人物だったのではないでしょうか。宴の話は創作としても、九度山脱出において、農民たちの協力があったというのは、本当の話かもしれませんね。


 大坂城入城の際のあの変装についてですが、これは、軍記物などに見られる「伝心月叟という山伏に身をやつして入城した」という逸話をベースにしたものでしょう。また、信繁はこれより少し前に姉に宛てた書状のなかで、「このところ急激に年を取り、ことのほか病身になり、歯も抜け、髭も黒いところがありません」と伝えており、これもあの変装で処理したのでしょうね。実際、主人公をこんな風貌にしてしまったら視聴者が引くでしょうし、この書状の事実をドラマでどう扱うのかと思っていたのですが、山伏の変装エピと絡めるとは・・・。毎度のことながら、三谷脚本スゴイ!


真田丸 第41話「入城」 ~九度山村脱出と真田家嫡男問題~_e0158128_02593024.jpg 沼田城真田信之に目を移します。信之がこの時期病身だったのは事実で、二度の大坂の陣にも参戦しませんでした。その代わり、長男・信吉と次男・信政を出陣させます。ドラマでは、未熟な息子二人を心配して、矢沢三十郎頼幸と姉婿の小山田之知に援助を頼んでいましたが、実際にも、二人を守りたててほしいと何度も三十郎と之知に書状を送って頼んでいます。私にも、来春大学を出て東京に就職が決まった息子がいますが、子供というのはいくつになっても親の目から見れば未熟にしか見えず、心配は拭いきれません。


 この信吉と信政の嫡男問題が描かれていましたが、実はこの後継者となった信吉という人物は、結構が多いんですね。というのも、生年自体が諸説あって定まっていません。また、生母についても詳らかではなく、真田家の公式記録『真田家御事績稿』のなかの『天桂院殿御事績稿』には、生母は小松姫とあるのですが、『真田家御事績稿』には、生母は真田信綱の息女だったと記されています。つまり、ドラマでいうところのおこうですね。また、別の説では、信之が侍女に産ませた子という説もあります。ドラマでは、小松姫の輿入れによっておこうは侍女となり、信之の子を産み、小松姫の養子となって家督を継いだという設定でしたね。つまり、すべての説をミックスさせて辻褄を合わせたかたちです。この設定を視野に入れて、おこうを侍女にしていたんですね。いや~、お見事です。


 史実では、こののち信之は信繁と会うことはありませんが、信吉と信政は、大坂冬の陣の和睦後に対面します。そこでどんなドラマが用意されているのか、楽しみですね。



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by sakanoueno-kumo | 2016-10-17 18:17 | 真田丸 | Trackback | Comments(0)  

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