三木合戦ゆかりの地めぐり その32 ~五社八幡神社~

神戸市北区にある「五社八幡神社」を訪れました。

かつてこの地に、三木城主別所長の家臣・小野三郎義晴切畑城を築き、ここの境内に居館を設けていたそうです。


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当然の如く、三木合戦の戦火に巻き込まれ、時期ははっきりしませんが、羽柴秀吉軍によって攻め込まれ、社殿を焼失したと伝わります。


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その際、義晴は御神体に兵火がかからないよう、背後の谷間に埋めたといわれ、その後、村民が御神体を掘りおこし、社殿を再建して奉安したと伝えられますが、その年月は不明です。


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ところが、昭和55年(1980年)に文化庁の調査が行われ、社殿が室町時代のものであると判明したとか。

伝承というのは、いい加減なものですね。

でも、別所方の拠点である以上、社殿は焼けずにすんだとしても、何らかの被害は被ったのかもしれません。


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時代は遡って、元弘3年(1333年)2月の「摩耶山合戦」の際、摩耶山城を本拠とした赤松則村(円心)は、北方の備えとしてこの背山に支城を築き、荒廃した社殿を再建して戦勝を祈願したと伝えられます。

室町時代の社殿というのは、あるいはこのときのものかもしれません。


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その社殿ですが、調査後に国の重要文化財に指定するかの審議がなされていたそうですが、その最中、放火によって全焼してしまいまったそうです。

なんと、悪いやつがいたもんです。

現在の社殿は、昭和60年(1985年)に鉄筋コンクリートで再建されたそうです。


次回に続きます。




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by sakanoueno-kumo | 2016-11-03 20:41 | 三木合戦ゆかりの地 | Comments(2)  

Commented at 2016-11-04 15:09
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by sakanoueno-kumo at 2016-11-04 23:14
> 非公開コメントさん

たしかに、言われてみればそうですね。
これまで疑問に思ったことありませんでした。
室津は同時の西国からの回路の玄関口で、毛利の大船団が入港できる場所となると、やはり室津から上陸して陸路を進んだと考えていいのではないでしょうか?
あと、黒田軍がどこで襲撃したかはわかっているのでしょうか?
英賀といっても、当時の英賀は今の住所の英賀地区より広かったんじゃないでしょうか?
英賀合戦自体、毛利方の記録によれば天正5(1577)年5月となっていますが、黒田家譜では天正4(1576)年としているそうで、その詳細もあいまいなものだそうですね。
室津から英賀へ移動中に起きた戦いだから「英賀合戦」と名付けられただけで、襲撃されたのは室津付近だったとか?
すみません、それぐらいしか思いつきません。

わたしも先日、別の目的で室津に行きましたが、江戸時代には日本最大級の宿場として栄えたまちですが、いまは交通の便も悪く、過疎化の進む陸の孤島状態になっています。
牡蠣がおいしいまちです。

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