三木合戦ゆかりの地めぐり その33 ~茶臼山城跡(上津城)~

神戸市北区にある「茶臼山城跡」を訪れました。

「茶臼山」という名称の山は、全国に200ヶ所以上あるといわれ、その多くが戦時の陣所として利用されていますが、ここも例外ではなく、三木合戦の際には別所方のとなった場所です。


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ここ茶臼山城は別名、上津城ともいわれ、現在の住所でも、神戸市北区上津としてその名が残ります。

あるいは、「茶臼山城」という名称は、全国各地の戦場となった茶臼山にあやかって、そう呼ばれたのかもしれませんね。


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現在、城跡は「茶臼山緑地」として公園整備されています。


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「南丸」の登り口です。

階段整備されていますので、苦もなく登れます。


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「南丸」とは、たぶん「二ノ丸」のような存在なんでしょうね。


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「南丸展望広場」とありますが、木が茂っていて何も見えません。

やっぱ城跡は冬に来たほうがいいですね。


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「本丸」へ向かうには、一旦くだります。


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「南丸」と「本丸」の間にも、土塁跡堀切跡と見られる遺構が確認できます。


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「本丸」への登り口。


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「本丸」です。

ここ茶臼山城跡(上津城)は室町時代に有馬氏が築城したと伝えられます。

有馬氏とは、播磨国の守護職・赤松則村(円心)の孫・有馬義祐に始まる摂津国有馬郡の地頭職の家系です。


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その後、有馬氏は没落し、三木合戦当時は一蓮坊祐之という土豪が250余名の家臣とともにここに籠城しますが、羽柴秀吉の家臣・仙石秀久に攻めかけられ、一蓮坊は、家臣の助命を条件に城を明け渡し、自決したと伝えられます。


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現地説明看板によると、現在地元のほとんどの家系に、当時の家臣たちのが残っているのだとか。

そりゃ、この城跡は破却できないでしょうね。


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城跡南側の景色です。

城跡北側は田園地帯なんですが、南側は新興住宅街として開発中です。

茶臼山城は「本丸」と「南丸」だけではなかったでしょうから、たぶん、このあたりもかつては城だったのでしょうね。


次回に続きます。




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by sakanoueno-kumo | 2016-11-04 23:18 | 三木合戦ゆかりの地 | Trackback | Comments(2)  

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Commented by heitaroh at 2016-11-05 17:05
この流れで行けば、当然、英賀合戦と英賀城落城に話が及ぶんですよね(笑)。
期待しています。
Commented by sakanoueno-kumo at 2016-11-07 23:14
> heitarohさん

いや、残念ながら英賀合戦は予定に入っていません(笑)。
英賀合戦を仲間に入れると、上月城攻めも加えなければならず・・・。
どこからどこまでが三木合戦とするか難しいですが、とりあえず、加古川評定から三木城落城までは一連の三木合戦という認識で、それ以前、それ以後の播磨での戦いは、別のカテゴリで考えようかなあと・・・。
実際には歴史はつながっていて、カテゴリ分けするのは難しいですけどね。

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