三木合戦ゆかりの地めぐり その34 ~松原城跡~

前稿の茶臼山城跡から直線距離にして3kmほど東にある神戸電鉄三田線道場駅の東に、「松原城跡」があります。

ここも、三木合戦のときに羽柴秀吉軍によって攻め滅ぼされたと伝わる城です。


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城跡というより、古墳跡といった感じに見えますね。


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丘陵はそれほど大きなものではなく、おそらく、この丘を中心とするこのあたり一帯が城だったのでしょう。


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説明板によると、松原城は別名「たんぽぽ城」とも言うそうですが、調べてみると、それ以外にも道場城、佐々城、蒲公英城、日下部城、道場川原城などなど、複数の名称があるようです。

まあ、江戸時代の城の名称というのは正確なものでしょうが、戦国時代以前の城の呼び名は、城主の姓だったり村の名称だったり複数あるものです。

おそらく、正式名称などといったものはなく、それぞれが、いろんな呼び方をしていたのでしょうね。


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「松原城」という名称は、城主の松原氏からとったものだと思われます。

築城時期は定かではありませんが、南北朝時代の播磨守護職・赤松則村(円心)の孫、赤松氏春が築いたと言われます。

氏春は永徳3年(1386年)に播磨清水寺の戦いで敗死したため、松原城は一時廃城となりますが、その後、応仁の乱以後に赤松氏幕下の松原越前守貞基が城主となり、以後、戦国時代を通して松原氏の居城となりました。


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三木合戦のときの城主・松原義富は、妻が「その13」で紹介した淡河城主・淡河弾正忠定範の娘だった関係で別所方に与し、野口城の戦いでは別所方の大将のひとりとして活躍したと伝わります。
その後、松原城に嫡子の貞富とともに籠城。

これに対して、羽柴軍は中川清秀、塩川国満、山崎家盛、池田輝政が城を囲み、『摂北有馬郡丹北城軍記』によれば、包囲軍の一斉攻撃によって城方はまたたく間に切り崩されたといいます。

義富は城を脱出すると、尼が谷に入り、そこで自害したという説や、また別の説では、三木城に籠城し、三木城が落ちたあと北谷村に逃れ、そこで帰農したともいいます。

いずれにせよ、ここ松原城は、羽柴軍を前になすすべもなく落城したようです。




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by sakanoueno-kumo | 2016-11-09 21:59 | 三木合戦ゆかりの地 | Comments(0)  

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