三木合戦ゆかりの地めぐり その44 ~西脇城跡~

兵庫県西脇市にあったとされる「西脇城跡」を訪れました。

ここは、三木城から直線距離にして20km以上北上した場所にある城ですが、ここも、三木合戦時に羽柴秀吉軍によって攻め落とされたと伝わる城です。


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西脇城跡のある西脇市は、東経135度・北緯35度が交わる地点で、ここが「日本列島の中心」に当たることから、「日本のへそ」のまちとPRしています。

北は北海道から南は沖縄まで、日本列島すべての時刻はここ東経135度線(子午線)に合わせていますから、日本で最も正確な時刻を刻むまちでもあります。

もっとも、西脇城があった時代には、そんなこと知る由もなかったでしょうが。


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西脇城の遺構は市街地に埋没して全く残されておらず、パチンコ屋駐車場脇の一角に、石柱のみが建てられています。


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石柱横の階段を上ると、大きな石碑五輪塔、石地蔵が建てられた廟所になっています。


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高さ3mほどの石碑には「西脇城主高瀬氏政所之址」と刻まれています。

高瀬氏播磨守護職赤松氏の一族で、三木合戦時は三木城主の別所長治方に与していました。


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こちらは五輪塔

「高瀬家」とありますから、おそらく高瀬家の誰かの墓石でしょう。


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こちらの石仏にも、「高瀬家」とあります。


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西脇城は、古地図の復元から約100m四方を堀と土塁で囲った方形居館と呼ばれる城だったことがわかっていて、現在、廟所がある場所より西にあったと伝えられていますが、現在はその痕跡を見ることはできません。

また、城主についても、高瀬土佐守円山兵庫頭祐則が伝えられ、最近では這田荘と呼ばれていたこの地域の政所であったとの研究もあるそうです。

三木合戦時の城主と伝わる高瀬氏は、合戦を境に滅亡したと伝えられます。


次回も西脇市内の史跡を訪れます。




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by sakanoueno-kumo | 2016-12-07 18:14 | 三木合戦ゆかりの地 | Trackback | Comments(0)  

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