おんな城主 直虎 第4話「女子にこそあれ次郎法師」 ~直虎の出家~

 今回は出家したおとわの話がメインでしたね。ドラマでは、今川家から本領安堵の条件として、おとわの出家を命じられるといった設定でしたが、実際には、井伊直虎がいつ、どのような理由で出家するに至ったかはわかっていません。前話の稿でも紹介しましたが、『井伊家伝記』によると、直虎は亀之丞(のちの井伊直親)出奔後に仏への信仰が深くなり、南渓瑞門和尚の弟子となることを決意して剃髪したと伝えていますが、『寛政重修諸家譜』によれば、「直親信濃国にはしり、数年にしてかへらざりしかば、尼となり、次郎法師と号す」と記されています。これが正しければ、直虎が出家したのは亀之丞が出奔した数年後ということになり、もう少し大人になってからということになります。


 また、『井伊家伝記』によると、直虎は亀之丞との婚約が破談になったことで、自らの意志で出家したとあります。この時代、夫に先立たれた妻は出家するのが慣わしで、直虎も、その慣例に則って操を通したのかもしれません。しかし、直虎の両親である井伊直盛夫妻は、そもそも結婚はしておらず婚約が破棄になっただけなので、出家する必要はないと猛反対したといいます。ドラマとはずいぶん話が違いますよね。


 結局、直虎の出家への決意は固いものでした。そこで、両親がせめてもの妥協案として、尼の名前は付けないでほしい、と要望したといいます。通常、尼の名とは法名のことで、俗世間との関係を断ち切ったことになります。そうなると、二度と還俗できません。直虎の両親には男子がいなかったので、家督を継がす養子を迎えなければなりません。もちろん、単に養子を迎えることも出来たのですが、できれば、実の娘と結婚させて婿養子として迎えたいという望みを捨てきれなかったのでしょう。そのためには直虎が出家していては望みが断たれるため、なんとしても法名は避けたかったのでしょうね。


 そこで、南渓和尚がひとつのアイデアを提示します。というのは、尼名ではなく、僧名を与えてはどうか、というものでした。尼名と僧名ではどう違うのか・・・。当時、尼から還俗することは許されませんでしたが、僧侶からの還俗は珍しくありませんでした。男の場合、戦で死ぬことはたびたびで、跡継ぎの男子がいなくなった場合、一度僧になった弟が呼び戻されるといった例は少なくありませんでした。その最も有名なところでは上杉謙信がそうで、井伊家の主家である今川義元もまた、仏門から還俗したひとりです。南渓の案は、直虎が変心して還俗できるよう含みをもたせたものだったわけです。


 そこで、直虎につけられた名が「次郎法師」でした。代々、井伊家惣領は「備中法師」と名乗っていたと伝えられ、また、井伊家の歴代当主の仮名が「次郎」だったことから、この2つをつなぎ合わせて「次郎法師」としたとされています。「法師」とは、法名ではなく、僧侶や俗人で僧形をした男子のことを言い、純粋な僧侶ではありません。つまり、井伊家の当主の証である「次郎」を名乗り、尚且つ純粋な僧侶の意味を持たない「法師」をつけることで、いつでも俗世に帰れるようにしたというんですね。両親の切実な願い込められた名だったといえるでしょうか。


 というのが、『井伊家伝記』による直虎出家のくだりです。ところが、ドラマではまったく違うストーリー展開で描かれていましたね。なんで変えちゃったのでしょうね。まあ、『井伊家伝記』にしても『寛政重修諸家譜』にしても江戸時代中期に記されたものですから、そこに書かれた話にどれほど信憑性があるかはわからないので、オリジナルの解釈で創作してもいいところだとは思いますが、『井伊家伝記』の伝承そのままのほうがドラマチックだったような・・・。でも、伝承そのままで描くには、おとわが少々幼すぎたのかもしれませんね。いよいよ、次回からは柴咲直虎の登場です。



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by sakanoueno-kumo | 2017-01-30 16:49 | おんな城主 直虎 | Trackback | Comments(0)  

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