太平記を歩く。 その7 「雀の松原」 神戸市東灘区

元弘元年(1331年)の笠置山の戦いに敗れた後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は、翌年、隠岐島に配流となります。

その道中、後醍醐天皇は現在の神戸を通過するのですが、そのとき、ここ「雀の松原」を通ったと伝えられます。


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現在は住宅街のなかにある小さな公園に石碑のみが建てられていますが、かつてこのあたりは海岸線で、松林があったそうです。


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『太平記』より更に古い『源平盛衰記』『平家物語』にもその名称は見られ、後醍醐天皇のことが書かれた『増鏡』では、「(後醍醐天皇は)雀の松原、布引の滝など御覧じやらるるも、……生田の里をば訪はで過ぎさせ給ぬめり。湊川の宿に著かせ給へる」とあり、後醍醐天皇がここ雀の松原や布引の滝を見ながら隠岐へと流されていったことがわかります。


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碑文

「竹ならぬかげも雀のやどりとは、いつなりにけん松原の跡」


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側面には「中納言公尹卿」とあります。

鎌倉時代の公卿、洞院公尹のことです。


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右側の小石碑表面には

「雀松原遺址、杖とめて千代の古塚とへよかし是や昔の雀松原 平安山田寿房」

とあります。

調べてみましたが、山田寿房という人のことはよくわかりません。


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この石碑は阪神電鉄開通工事の際、軌道敷内にあって取り壊された真の旧蹟を惜しんで、地主が所有地を地盛りして若松を植え、移設したものだそうです。


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また、これより20年後の正平6年(1351年)に、足利尊氏足利直義兄弟が互いに戦った場所でもあります。(観応の擾乱)

打出の鷲林寺に陣を置く直義に対し、尊氏はこれを討つべく2万の軍勢を進めますが、兵が多すぎて逆に身動きが取れないと察知した尊氏の部下・薬師寺次郎左衛門公義が自らの手勢をここ雀の松原に待機させた場面が『太平記』に描かれており、そこには「一族の手勢二百余騎、雀ノ松原の木陰にひかえて」とあります。

結局、この打出・御影浜の戦いでは、大軍で統制がとれなかった尊氏方は敗れ、総崩れとなって西へ敗走します。


さて、次稿では、同じく後醍醐天皇が通ったという「布引の滝」を訪れます。




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by sakanoueno-kumo | 2017-02-01 17:33 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)  

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