太平記を歩く。 その33 「五社八幡神社」 神戸市北区

神戸市北区にある「五社八幡神社」を訪れました。

元弘3年(1333年)2月の「摩耶山合戦」の際、摩耶山城を本拠とした赤松則村(円心)は、北方の備えとしてこの背山に支城を築き、荒廃した社殿を再建して戦勝を祈願したと伝えられます。


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その甲斐あって赤松軍は幕府六波羅軍に大勝し、倒幕の勢いにのります。

鎌倉幕府の瓦解は、遠く離れた神戸のまちから始まっていました。


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時代は下って戦国時代、三木城主別所長治の家臣・小野三郎義晴切畑城を築き、ここの境内に居館を設けていたそうですが、羽柴秀吉軍の三木攻めの際、兵火により社殿を焼失したと伝わります。

その際、義晴は御神体に兵火がかからないよう、背後の谷間に埋めたといわれ、その後、村民が御神体を掘りおこし、社殿を再建して奉安したと伝えられますが、その年月は不明です。


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しかし、昭和55年(1980年)に文化庁の調査が行われ、社殿が室町時代のものと判明。

そこで、国の重要文化財に指定するかの審議がなされていたそうですが、その最中、放火によって全焼してしまいまったそうです。


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現在の社殿は、昭和60年(1985年)に鉄筋コンクリートで再建されたそうです。



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by sakanoueno-kumo | 2017-03-30 20:30 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(2)  

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Commented by heitaroh at 2017-04-11 11:05
何と!放火により焼失ですか。
まるで、「万一の場合は火をかけよ」と先祖からの申し送りがあったかのような。
殆ど、八つ墓村の世界ですね。
Commented by sakanoueno-kumo at 2017-04-11 22:59
> heitarohさん

ほんと、ヒドイ話です。
三木合戦の戦火を免れたのに、昭和の不審火にやられるなんて。
八つ墓村とはちと違うかも(笑)。

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