太平記を歩く。 その35 「山王神社」 神戸市北区
専念寺から南西に300mほどのところにある「山王神社」を訪れました。
ここは何の予備知識もなく、専念寺を訪れたついでに、同じ集落で目に入ったので立ち寄ってみたのですが、偶然にも、ここも赤松則村(円心)・則祐父子ゆかりの神社だったようです。
拝殿です。
拝殿横に設置された説明板です。
「建武動乱の折り、戦勝を祈願して円心・則祐が金幣などを奉納した」とありますね。
でも、前稿の専念寺と同じく、その立地から考えると、建武年間(1334~1338年)ではなく、元弘3年(1333年)2月の摩耶山合戦の戦勝祈願ではなかったかと想像します。
赤松氏といえば播磨国の印象が強いのですが、神戸市内にもゆかりの史跡が多くあるんですね。
このたびの史跡巡りで、はじめて知りました。
説明板では、源義経が一の谷の戦いの戦勝を祈願して、弓矢を奉納したとも書かれています。
有名な「ひよどり越え」の場所は諸説ありますが、六甲山脈の北側(通称:裏六甲)は義経の進軍路と考えられていますから、この辺りでは義経の伝承も多くあります。
また、別の機会に紹介します。「太平記を歩く。」シリーズの、他の稿はこちらから。
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by sakanoueno-kumo | 2017-04-05 18:44 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(2)
たしか、大鳥圭介だったかが、ここの出身とか言っていたような。
乗り換えただけだったので、ぶらりと駅周辺を一周しただけでしたけどね。