おんな城主 直虎 第15話「おんな城主 対 おんな大名」 ~寿桂尼~

 今話のタイトルは「おんな城主 対 おんな大名」。おんな城主とは、いうまでもなく井伊直虎ですが、おんな大名とは、駿河国、遠江国の守護にして戦国大名でもある今川氏のゴットマザー・寿桂尼のこと。この時代の女性というと、大名の正室といえども史料が少なく、その実在性も含めて不明な場合が多いのですが、この寿桂尼に関しては、歴史にその存在をしっかりと残した数少ない女性といえます。


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 寿桂尼は中御門宣胤という公卿の娘として生まれたと伝えられ、永正5年(1508年)、今川氏親の正室として駿河国に嫁いできました。今川家は、足利将軍家の一族にあたり、守護大名のなかでも名門の家柄だったため、京との関係を深めるために公家の娘を正室に迎え入れたのでしょう。氏親との間には長男の今川氏輝、三男の今川義元を含む7人(4人の息子と3人の娘)の子をもうけており、夫婦仲は良かったと見られています。

 その氏親は晩年、十数年に及ぶ病床生活を送っており、その間、寿桂尼が政務を補佐したと伝わります。その最も有名なものとしては、大永6年(1526年)4月に制定された、今川氏の分国法である『今川仮名目録』。ドラマで徳政令を回避するために直虎が使った法令ですね。この分国法が発布されたのは、氏親の死の2ヵ月前のことで、中風で寝たきりだった氏親がこれを作成したとは考えづらく、また、目録は漢文ではなく女性文字である仮名交じり文であることから、寿桂尼が大きく関わり、氏親の名で発布したと考えられています(異説あり)。


 「戦国大名」の定義は曖昧ですが、幕府と一線を画する独自の法律の制定だとすれば、今川氏は、この『今川仮名目録』の制定から戦国大名に変貌したといえ、すなわち、今川家を戦国大名にしたのは寿桂尼だったと言っても過言ではないかもしれません。それ以後、寿桂尼はわが子、氏輝、義元、そして孫の氏真と、今川家4代に渡って政務を補佐し、「駿河の尼御台」、「女戦国大名」などと称されました。


 実際、桶狭間の戦いで義元が死んだあとも、寿桂尼が存命の間は何とかその大名としての面目を保っていましたが、寿桂尼が死ぬやいなや、武田信玄による駿河侵攻によって今川氏は滅亡します。そのことからも、少なくとも氏真の時代は、寿桂尼あっての今川家だったことがわかりますね。まさしく「おんな大名・寿桂尼」でした。


 ドラマで直虎がやりあったのは、そんな女傑でした。もちろん、今話はすべてフィクションで、ドラマのオリジナルです。ただ、同じく国を統治する女性という立場として、直虎は寿桂尼という偉大な存在を意識していなかったはずはありませんし、寿桂尼も、少なからず直虎という女性を気に留めていたかもしれません。ふたりが面会したという記録はありませんが、もしあったとしたら、あんな感じだったかもしれませんね。


 今話はフォクションといえども、わたしは面白かったと思います。そもそも、この徳政令に関していえば、今川氏真が井伊家の領内に発布した徳政令を、直虎が2年間それを抵抗しつづけたということ以外、何もわかっていません。つまり、次週からも、この徳政の施行を引き伸ばした2年間の話は、ほぼ創作の回となります。もともと史料の少ない人物を主人公にしているわけですから、これは仕方がないことでしょう。今話の主題は、実は直虎を守ろうとしていたという、小野但馬守正次の本意だったんじゃないでしょうか? 今後、このふたりの関係がどのように描かれていくのか楽しみです。



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by sakanoueno-kumo | 2017-04-17 15:58 | おんな城主 直虎 | Trackback | Comments(0)  

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