おんな城主 直虎 第17話「消された種子島」 ~戦国大名の鉄砲と囲碁~

 今話は井伊家の種子島(火縄銃)導入と虎松(のちの井伊直政)の教育のお話。鉄砲がはじめて日本に伝わったのは、天文12年(1543年)のこととされています(異説あり)。井伊直虎のこの時代より、約20年前のことです。場所は大隅国の種子島。中学校で習いましたよね。持ち込んだのは、中国船に乗っていたポルトガル人のフランシスコキリシタダモッタの2人とされています。このフランシスコを、かの宣教師フランシスコ・ザビエルと混同して覚えている人がよくいますが、別人です。ザビエルが日本に来たのはこれより6年後の天文18年(1569年)のことで、上陸したのも種子島ではなく鹿児島。持ち込んだのも鉄砲ではなくキリスト教でした(献上品のなかには鉄砲もあったかもしれませんが)。


 種子島の島主・種子島時堯は、鉄砲を2丁買い求め、1丁は家宝とし、もう1丁を鍛冶屋の八板金兵衛清定に命じて分解させ、研究させます。当時の日本にはネジというものがなく悪戦苦闘が続いたようですが、やがて国産の火縄銃、その名も「種子島」が金兵衛らによって完成すると、瞬く間に各地に生産が広まり、和泉国の、紀伊国の根来、近江国の国友、同じく近江国の日野などが代表的な産地となります。他にも、「鉄砲町」という地名がいまも全国各地に残っていますが、それらはすべて、鉄砲鍛冶が住む町でした。


生産ラインが充実すると、戦場における新兵器として、戦国大名たちは挙って鉄砲を買い求めはじめます。ドラマで、中野直之が直虎に種子島導入の話を持ち込んだのは、ちょうどそんな頃でした。時代は刀槍から火器へと移り変わろうとしていた過渡期で、やがてこれが、日本の天下統一を左右していくことになるんですね。


ちなみに、戦国時代末期には、日本は50万丁以上の鉄砲を所持していたともいわれ、この当時、世界最大の銃保有国となるに至ります。話はそれますが、幕末、黒船艦隊の脅威から明治維新を迎え、わずか半世紀ほどで世界一二を争う海軍を保有するに至る日本。第二次世界大戦後の焼け野原から、わずか半世紀ほどで世界一二を争う経済大国となった日本。その是非は別として、戦国時代も現代も、わが国の適応能力の高さには目をみはるものがあります。


 さて、虎松の囲碁です。碁は太古の昔からわが国にあった文化ですが、とくに戦国時代には戦国大名たちに大いに好まれ、織田信長徳川家康などは名人だったとされます。碁盤での対局は、ある種、戦場の戦術戦略にも通ずるところがあり(わたしは碁をやらないので詳しくはわかりませんが)、戦場で指揮をとる彼らにとって、碁は頭脳と精神力の訓練の場だったのかもしれません。


井伊直政の碁がどれほどの実力だったのかはわかりませんが、後年、豊臣秀次関白就任の際、家康の名代として直政が上洛し、祝いのあと、聚楽第の一室で秀次と碁を打ったという逸話が残されています。のちに家康の元で目覚ましい出世を遂げる直政ですが、あるいは、囲碁の素養が家康の目にとまったのかもしれませんね。それを鍛えたのが直虎だったかどうかはわかりませんが。



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by sakanoueno-kumo | 2017-05-01 19:09 | おんな城主 直虎 | Trackback | Comments(0)  

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