おんな城主 直虎 第18話「あるいは裏切りという名の鶴」 ~甲相駿三国同盟の瓦解~

 前話で種子島(火縄銃)の製造に着手した井伊直虎でしたが、目付家老の小野但馬守政次は、それを今川家への謀反の企てと疑い、虎松後見を降りるようせまります。まあ、主家である今川家に内緒で武装強化していたわけですから、目付にそう疑われても仕方がありませんね。死んだ井伊直親の父・井伊直満が殺されたのも、武田軍の攻撃に備えるための武装を今川家への謀反の企てと疑われたからでした。通説では、政次の父・小野和泉守政直讒言によって陥れられたとされていますが、あるいは、本当に謀反の企てがあったのかもしれません。あとからでは、どうとでも言えますからね。


弱者が強者からあらぬ疑いをかけられないためには、ひたすら弱者でいること。「李下に冠を正さず」です。下手に武装強化しておいて、戦うつもりはなかったといっても、信じてもらえなくて当たり前です。憲法改正して戦える国家にした上で戦うつもりはないと言っても、あるいは国内ではその理屈が通用しても、外からみれば、日本は臨戦態勢に入ったと見られても仕方ないんですよ。そのときはどうするんですかね? 安倍さん?


 と、話がそれましたが、観念した直虎は後見を政次に譲ることを約束し、政次とともに駿府へ向かいます。ところが、瀬戸方久の機転で井伊が種子島(火縄銃)を製造していたのは謀反のためではなく今川に買ってもらうためだったということにし、窮地を救います。上機嫌の今川氏真。いくら氏真が凡庸な人物だったといっても、こんな子供だましな言い訳を、こんなにも単純に信じるとも思えないんですけどね。まあ、ドラマの氏真は、凡庸にも届かない愚鈍な武将といった設定でしょうか。


 で、そこに、武田家の嫡男・武田義信が、謀反の罪で幽閉されたという知らせが・・・。


 ここで、井伊家を取り巻くこの頃の背景をおさらいしておきましょう。この時代より遡ること10年以上前の天文21年(1552年)から同23年(1554年)にかけて、駿河の今川氏模の北條氏斐の武田氏の間で甲相駿三国同盟が結ばれていました。その証明として、今川義元の娘・嶺松院武田信玄の嫡男・義信に、信玄の娘・黄梅院北条氏康の嫡男・氏政に、氏康の娘・早川殿が義元の嫡男・氏真にそれぞれ嫁ぎ、関係を強固にしていました。ところが、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦い後、今川氏の後継者に氏真が就いてから、徐々に今川氏は弱体化していき、三国同盟の関係にも少しずつ影響し始めます。


 永禄7年(1564年)、武田信玄は飛騨に攻め込みますが、お隣の美濃には織田信長が侵攻しており、翌年、信長は信玄に対して同盟締結を働きかけ、養女を信玄の子息・勝頼に嫁がせます。信玄は信長と手を結ぶことで、今川領への侵攻を視野に入れはじめていたのでしょう。ところが、今川氏真の妹を妻に娶っていた義信は、三国同盟を理由に父の行動に猛反対。やがて家臣も巻き込んで父と対立します。そして永禄8年(1565年)10月、義信派の飯富虎昌粛清されると、同年10月には、義信も甲府の東光寺幽閉され、氏真の妹・嶺松院とも強制的に離縁されます。ネタバレになりますが、この2年後には義信も自害に追いやられます。これにより、今川氏は武田氏との同盟の根拠を失うことになります。義信幽閉の報せを受けて氏真が狼狽えていたのは、そういった背景からきたものです。井伊家の子供だましな言い訳には引っかかる愚鈍な氏真ですが、義信幽閉の事の重大さはわかるようです。


 さて、ドラマのストーリーに戻って、ようやく直虎が政次の真意に気づいたようです。


 直虎「われを上手く使え。われもそなたを上手く使う。」


 元々幼馴染だったふたりですから、わかり合えないはずがない。これから良き主従関係良きパートナーとして井伊家を守っていく・・・・といいたいところですが、通説では、このふたりの終着点はバッドエンドです。このあと、どんな風に描かれるのでしょうね。



ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
   ↓↓↓

にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ


by sakanoueno-kumo | 2017-05-08 17:12 | おんな城主 直虎 | Trackback | Comments(0)  

トラックバックURL : http://signboard.exblog.jp/tb/25756369
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]

<< 太平記を歩く。 その48 「船... 太平記を歩く。 その47 「観... >>