太平記を歩く。 その50 「後醍醐天皇御腰掛の岩」 鳥取県西伯郡大山町
せっかく伯耆国まで足を伸ばしたので、船上山周辺の『太平記』にまつわる史跡を巡ってみます。
まずは、御来屋漁港にある「後醍醐天皇御腰掛の岩」。
元弘3年/正慶2年(1333年)閏2月、側近の千種忠顕らと共に配流先の隠岐の島を脱出した後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は、当初、出雲国を目指すも風に流され、ここ名和の湊にたどり着き、ここで、この地で海運業を営んでいた名和長年を頼ります。
このとき、疲れた天皇が体を休めるために海岸にあった大きな岩に腰をかけたという言い伝えあり、それが、この岩だと伝わるそうです。
30年ほど前までは海中にあったそうですが、漁港の改修によって海面から1.4m持ち上げられ、現在では陸の上に位置しています。
それにしても、たかが休憩のために座っただけで史跡になんるんですね。
御腰掛岩の隣には、後醍醐天皇の御製の碑があります。
「忘れめや よるべもなみの荒磯を 御舟の上にとめし心を」
(どうして忘れようか。寄る辺のない波の荒い磯で 朕の乗った船に心を留めてくれたことを)
「寄る辺のない」と「波」、「御舟の上」と天皇が立て籠もった「船上山」をかけているんですね。
このあたりの地名を「御来屋(みくりや)」といいますが、天皇家や伊勢神宮などの神領を表す「御厨(みくりや)」という言葉がありますよね。
後醍醐天皇がこの地に上陸したということで、この地名になったのかもしれませんね。
御来屋漁港から日本海を望みましたが、隠岐の島は見えませんでした。
うっすら見えている島のような場所は、おそらく島根半島かと。
そのまま西に目を移すと、海岸線に風力発電の大きな風車が並びます。
せっかくなので、近くに行ってみました。
壮観ですね。
後醍醐天皇もびっくりです。
遠くに大山、そして船上山が見えます。
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by sakanoueno-kumo | 2017-05-11 23:36 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)