太平記を歩く。 その51 「元弘帝御着船所」 鳥取県西伯郡大山町
前稿で紹介した御来屋漁港の「後醍醐天皇御腰掛の岩」から路地を一筋南に下ると、民家の玄関先に「元弘帝御着船所」と書かれた看板と、古い石碑があります。
元弘帝とは、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)のこと。
その伝承によると、後醍醐天皇が隠岐の島から逃れて名和の湊に上陸したとき、この地の領民だった戸屋助右衛門が自分の家に天皇を迎え、鶏の塒(ねぐら)に偽装してしばらく匿ったといいます。
後年、その功を賞して鳥取藩が安政5年(1858年)に家の前にこの碑を建てたそうです。
後醍醐天皇を匿った戸屋家は、天皇から「塒」という苗字を与えられたと伝わり、石碑には、そのことが記されています。
「戸屋は古へ塒と称す 相伝ふ 帝の賜ふ所なりと」
当時は「塒」を「とや」と読んでいたそうですが、明治時代に「ねぐら」
と名乗るようになったのだとか。
なんでも、笑福亭鶴瓶さんの『鶴瓶の家族に乾杯』に塒助右衛門の子孫の方が出演されて、その由来を話しておられたそうです。(わたしは観てませんが)
いまもお住いなので家全体や表札の撮影は遠慮しましたが、石碑の後ろの家が塒さんのお宅です。
立派なお宅でした。「太平記を歩く。」シリーズの、他の稿はこちらから。
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by sakanoueno-kumo | 2017-05-12 23:33 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)