おんな城主 直虎 第19話「罪と罰」 ~地頭職の司法権~

 今話もまた、おんな地頭職となった井伊直虎国づくりのお話。今川家との外交政策、綿花栽培に着手した経済政策、領民の教育政策、そして種子島(火縄銃)の導入によ軍事政策と、稚拙ながらも試行錯誤しながら領主として成長していく直虎の国づくりを描いてきたここ数話ですが、今話のタイトルは「罪と罰」盗人として捕らえた罪人をどう裁くかという話で、つまり司法政策の回でした。


 盗人は死罪という慣例に従って、罪人・龍雲丸打ち首にすべしと主張する中野直之小野但馬守政次に対して、龍雲丸にはがあるから、死罪は免じてほしいと願う直虎。


政次「知らぬ者なら打ち首、知っておる者ならば見逃すと、そう仰せか?」

政次「あの男を見逃せば、井伊は盗人を打ち首にせぬところと噂が立ちましょう。さすれば次から次へと賊が入ってきましょう。そのうち民は襲われ、さらわれる者も出るやもしれませぬ。」


 まったくもって、政次のいうとおりです。司法、行政、立法の三権において、司法ほど情に左右されてはならない機関はありません。もちろん、三権分立が成されていない時代の話ですから、領主は知事警視総監最高裁判所長官を兼ねているような存在で、現在のアメリカ大統領より権限を持っていたといえ、領主の決断ひとつで判決などどうにでもなったでしょうが、一方で、「武士は二君にまみえず」といった江戸時代の主従関係とは違い、この時代の主従関係は利害関係で成立していましたから、主君は常に家臣たちから力量・器量を試されていました。だから、領主はいかにして家臣たちの心をつかむかを腐心する必要があり、とくに司法においては、すこぶる公明正大でなければならなかったでしょう。自分に捜査が及びそうだからといって、FBI長官を罷免したりしたら、たちまち家臣たちから愛想を尽かされ、辞任に追いやられるでしょうね。司法は常に政治の外に存在しなければなりません。


直虎「戦わぬのが最上!そう、われに教えてくれたではないか! 太刀を交えて殺し合うのではなく、その前に敵に屈させるが最上。さすれば兵も銭も最も失することがない。裏を返せば、命をやり取りしてしか物事を決められぬというのは、決して上等でないということじゃ! 偉そうに説教を垂れたそなたが、なぜちっぽけな盗人一人の命を取ろうとする。」


いやいや、そういうことじゃないんですよ、直虎さん。司法とヒューマニズムごっちゃにしてはいけません。現代でも、凶悪犯罪の判決に対して死刑廃止論をもって語る的外れな評論家がいますが、あれと同じです。いのちの尊厳は否定しませんが、死罪そのものを無くしたいという話は、司法府ではなく立法府の管轄です。現行の刑法極刑死刑ならば、司法はその刑法に則って裁かなければなりません。命のやり取りが外道だというのであれば、まず法を変えないと、直虎さん。まったくもって、頓珍漢にもほどがあります。


 これまで、沈着冷静な政次の意見に対して、稚拙ながらも熱意赤誠をもって凌いできた直虎ですが、今回ばかりは身勝手な主張としか思えず、どう決着をつけるのかと思って観ていましたが、龍雲丸の逃亡という曖昧なかたちで終わらせました。まあ、今回は直虎を勝たせるわけにはいかなかったでしょうからね。かといって、これから物語に関わってくるであろう龍雲丸を死なせるわけにもいかない。まあ、無難な着地点だといえるでしょうか? 今回は、司法が情に左右されてはいけないという直虎のお勉強の回だったのでしょうか? であれば、これが、のちの政次に対する処断に繋がっていくのかもしれません。



ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
   ↓↓↓

にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ


by sakanoueno-kumo | 2017-05-15 15:33 | おんな城主 直虎 | Trackback | Comments(4)  

トラックバックURL : http://signboard.exblog.jp/tb/25774538
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Commented by ruby at 2017-05-17 15:57 x
今日は。ネット上で言われている「真田丸ロス」を引きずるあまり直虎を見られていない状況ですが、最初のコメントの折御返信下さった事について、反芻しておりました。
それでまず大河ドラマ自体に関しては一番最初に鑑賞した記憶のある作品が、8代将軍徳川吉宗を描いたドラマでした。日本史では祖父や母が色々と詳しい為、教えてもらいつつ歴史の日本史の授業も楽しく学んだ記憶がありましが、大河ドラマに至っては惰性で見ていた感が強かったのです。
又どちらかと比べるならば、世界史主に西洋史の方により強い興味や関心が元から有り、ローマ帝国史に始まり中世ヨーロッパやルネッサンス期の欧州、フランス革命やエリザベス朝やヴィクトリア朝時代のイギリス、独立戦争や南北戦争時代のアメリカ史等について貪欲に知識や感性を仕入れてたいとの思いの方が大きかったのです。
見たり読んだりする映画やドラマや小説ももっぱら欧米系の物がほとんどでして、そんな私が真田丸だけは最後まで通してずっと見続け、予想した以上にはまってしまったのには惹きつけて止まない普遍的なテーマが貫かれていたのではないだろうかと考えています。1話1話がそれまで好きな欧米ドラマの質の高さに匹敵するような出来だったと感じています。
三谷氏お得意の笑いが取り入れられたのには一定のファンを始め私の周りの友人にも結構好意的な意見が多く、若年層を取り込むのには成功したのではないでしょうか?
Commented by ruby at 2017-05-17 15:59 x
(先程の続きです)主人公の描き方につきましては、これまた昔の大河ドラマ作品は殆ど見ていない為、アクの強いタイプの主役が多かったと聞きまして逆にそうだったのかと思いました。新撰組ももうだいぶ経ちますし、龍馬伝も斜め見状態だった為記憶から薄れているというのもありますが・・・(苦笑)。
只、これはあくまで私の推測ですがここ何年かの大河の主人公、特に様々な方面から相当批判された江姫や花燃ゆの主人公を省みて、その反動から今回の真田信繁という主役が出来上がったのではと思います。演じた中の人贔屓と言われればそれまでですが、真田昌幸の陰に隠れてしまったとは私としては決して信じたくないですし、どこかのtwitterで三谷先生が堺さんの為に書き下ろした究極の当て書きであるキャラクターが真田信繁だったとの分析があり、これを読んだ時に一番胸にストンと響きました。そしてこれも穿った見方になるかもしれませんが、戦国時代側室は当然だった事、天下泰平の為という
言葉は一度も登場人物の口から発せられず、お家存続か自分が生きた証を残す為に戦をするという描写は、延々戦は嫌とか側室なんてとんでもないという台詞が
続いた江への痛烈な当て付というか皮肉があったのでないかとも思い巡らします。
同じ戦国時代を舞台にしながら全くタイプの違う作品に仕上った真田丸と江、(あくまで大河ドラマの枠内ですが)その中の主役の信繁と江姫、秀吉や豊臣政権に寄せる思いや秀吉が死んだ時に流した涙も2人にとっては、それぞれまた別の意味が込められていたでしょう。最後に行き着く人生の終着点も勿論2人は完全に異なっていましたが、色々な意味で秀吉に「翻弄された」この1点に関しては共通しているものがあると改めて噛みしめています。
何れにしても、人それぞれ様々な鑑賞の仕方があるのは当然の事として、今までの大河ドラマや戦国時代にそんなに深い思い入れがなかったからこそ逆に純粋に先入観無しで真田丸を楽しく見れて、あの中のキャラクター達が完全に演じた人と歴史上の人物達とが私の中でこれからも半永久的に一致し続けるだろうというのも見方としてあるはずだと感じています。
直虎とは全く関係ない話題で申し訳ありませんが、長々と失礼致しました。
Commented by sakanoueno-kumo at 2017-05-17 18:30
> rubyさん

コメントありがとうございます。
まず、「総評」の稿でも述べたとおり、わたしは「真田丸」を名作、傑作だと思っていますし、堺信繁を否定するところではありません。
その上で、欲を言えば、もうちょっとインパクトの強いキャラクターに描いてほしかったという感想が正直なところです。
これはあくまでわたしの個人的な意見です。
堅実、篤実な兄に対して、破天荒でロマンチスト(よくある次男坊の姿?)な弟といったイメージが、わたしの思う信繁像です(ちなみに、わたし自身は面白みにかける長男です)。

昨今の作品では、どうも主人公を普通の人間に描こうとするきらいがあります。
我々と同じように悩んだり失敗したりを繰り返しながら大人になっていく・・・的な。
そして、心優しく仲間や家族を大事にする聖人君子なんです。
でもね、歴史上の偉人の魅力って、そんなんじゃないと思うんですよ。
なぜ、歴史上の人物の不動の人気ナンバーワンが織田信長かってことを思えば、わかるんじゃないでしょうか?
あの、サイコパスともいえる冷酷なサディストキャラ、人を人とも思わない悪魔のような人物が、なぜ人気なのか。
それは、良きにせよ悪しきにせよ尋常じゃない異端児だからでしょう。
つまり、我々は到底及ばない人物なんですね。
だから魅力的なんです。
悩んだり落ち込んだりする我々と同じ信長なんて、誰も魅力を感じないでしょう。
でも、自分の親や上司が信長だったら、絶対イヤですよね。
あくまで、歴史上の人物だから魅力的なんです。

幕末に目を向けてもそうで、やはり人気なのは坂本龍馬や高杉晋作などの破天荒な異端児で、どちらかといえば優等生の桂小五郎(木戸孝允)などは、あまり人気がありません。
歴史上の人物の魅力って、やはり、「いい人」じゃだめなんですよ。

で、「真田丸」における信繁ですが、やはり、「いい人」であり「普通の人」だったと思います。
そこが残念。
近年の作品はほとんどそうで、NHKでは主人公はそう描かないとダメなのかなぁ、と思ったりしています。
今年の「直虎」でも、聖人君子の井伊直親より、子憎ったらしい小野但馬守政次のほうが、絶対魅力的ですからね。

つづく
Commented by sakanoueno-kumo at 2017-05-17 18:36
> rubyさん

さきほどのコメント返しのつづきです。

ちなみに、わたしは「江」は駄作だと思っていますが、「花燃ゆ」は、世間のバッシングほど酷い作品だったとは思っていません。
巷では、女性の主人公だというだけで「スイーツ大河」などと始まる前から先入観を持って批判する人が多々おられますが、わたしは、あれ、嫌いなんですよ。
ああいうブログを書く人は、最初から批判するつもりでツッコミどころを探しながら観てますから。
粗探ししながら観て、何が面白いんだろうと。
だから、わたしはそういう批判めいたブログなどは読まないようにしていますし、当ブログでは、毎年、最終回が終わった総評の稿までは、批判はしないと決めています。

はじめて大河ドラマを真剣に観られたとのことで、その思い入れはたいへん理解できます。
わたしがはじめて1年間通して観た大河は滝田栄さんの『徳川家康』で、当時、まだ高校生だったということもあって、やはり強烈なインパクトとして残っていますし、おっしゃるように、あのとき演じておられた役者さんとその役どころの人物が今でもシンクロしています。
だからこそ、人物像の描き方って大切なんですよね。
とくに、今年の井伊直虎のようなマイナーな人物は、今後その役者さんのイメージが完全に着いちゃいますから。
「篤姫」とGoogle画像検索したら、ほぼ宮崎あおいさんの画像しか出てきませんからね。
大河でマイナーな人物を扱うということは、その後のその人物像を作ることになるということを、制作ザイドは十分に理解して臨んでほしいと思います。

答えになったかどうかは疑問ですが、またいつでもコメントください。
ちなみに、昔の稿にコメントいただいても、ちゃんと分かるようになってますので。

<< 太平記を歩く。 その52 「名... 太平記を歩く。 その51 「元... >>