太平記を歩く。 その55 「長綱寺(名和一族菩提寺)」 鳥取県西伯郡大山町
前稿の的石、前々稿の名和氏館跡のすぐ東側に、名和氏一族の菩提寺・長綱寺があります。
この寺には、名和長年、その長男の名和義高、三男の名和高光、そして後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)の位牌が祀られてあり、寺紋は帆掛け船で後醍醐天皇から名和氏に賜ったものと言われています。
寺の創建は名和長年によるもので、元は長年の父・名和行高の還暦を祝って建てた隠居所だったそうです。
長綱寺(ちょうこうじ)という名称は、長年の以前の名である長高から取ったものだそうです。
ちなみに、船上山挙兵時は、長年は長高の名乗っていたといい、後醍醐天皇の「長くて高いのは危険なことではないか」との御言葉を受け、長年の名を贈られたと伝わります。
説明板によると、創建当初は長高の名前にあやかって「長高庵」と言ったそうですが、後醍醐天皇が足利尊氏に追われて足利氏の天下になってからは、ここが長年(長高)に関係する場所であることを知られないため、「長高庵」を「長綱庵」と改名したそうです。
その後、長綱庵が火災で焼けたのを機会に、屋敷を前々稿で紹介した場所に移し、再建した寺院は現在の長綱寺と再度改めまたそうです。
境内の片隅には、「硯岩」と称する遺跡があります。
その説明書きによると、長年が後醍醐天皇を船上山へ案内する途中に休憩した岩と言われ、上部に墨つぼの様なくぼみがある形状から、「後醍醐天皇の硯岩」と呼ばれ、伝承されてきた岩だそうです。
ところが、昭和30年代に突然行方不明になり、人々が嘆いていたところ、住職の夢枕に名和長年が立ち、「米子の皆生温泉の辺りで硯岩が粗末に扱われている。持ち帰るよう。」とのお告げがあったそうです。
これを聞いた有志たちが手をつくして探し回ったところ、そのお告げ通り皆生温泉の近くで硯岩を発見。
平成22年に寺へ帰ってきたそうです。
夢枕云々はどうかわかりませんが、昭和30年代の話ですから、岩がなくなったという話は本当なんでしょうね。
この岩は10トン300kgあるそうです。
誰が? どのようにして? 何のために?
なかなかミステリアスな話ですね。「太平記を歩く。」シリーズの、他の稿はこちらから。
↓↓↓
ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
↓↓↓
by sakanoueno-kumo | 2017-05-20 00:44 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)