太平記を歩く。 その68 「宝満寺」 神戸市長田区

神戸市長田区にある宝満寺を訪れました。

打出合戦に敗れた足利尊氏が敗走中にここを訪れ、再起を願い、武運を守るようにと祈願したと伝えられます。


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その後、尊氏は兵庫から九州へ敗走しますが、筑紫(福岡県)の多々良浜菊池武敏軍と戦った多々良浜の戦いのとき、突然、突風が吹き、その中から一人の少年が尊氏の前に現われ、矢竹をほしいと頼んだといいます。

尊氏は、その少年に一本の矢竹を与えました。

その後、勢力を立て直した尊氏は、再び兵庫へ攻め上ってきますが、その際、再びここ宝満寺を訪れ、矢竹のことを僧に話したところ、その僧はたいそう驚き、寺の本尊の下で見つけたという矢竹を尊氏に見せたそうです。

その矢竹は、まぎれもなく尊氏が少年に与えたものだったとか。

尊氏はこの寺の本尊が自分を守っていてくれたのだと悟り、戦勝後、尊氏はこの本尊を深く信仰したと伝えられます。


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もちろん、にわかに信じられる話ではありませんが、尊氏は湊川の戦いの際、ここ宝満寺に本陣を布き、また、戦勝後も宝満寺を崇敬し、伽藍の修復や寺領の寄進をしたことは本当のようですから、尊氏が何らかのご利益を感じていたというのは事実なんでしょうね。


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説明板によると、その後、宝満寺は天正7年(1579年)に荒木村重によって焼き討ちされ、寺録も没収されたそうです。

天正7年といえば、村重は籠城していた有岡城から9月に尼崎城に移っており、兵庫の花隈城に入ったのは翌年の2月頃のこと。

焼き討ちされたのは天正8年じゃないでしょうか?

さらに、第二次世界大戦時の神戸大空襲により寺は全焼し、残念ながら寺史に関する史料はすべて焼失してしまったそうです。


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太平記とは関係ありませんが、境内には尼崎藩第2代藩主青山幸利慰霊碑と、その家老の天野八郎兵衛の顕彰碑があります。


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青山幸利は尼崎藩主として現在の神戸一帯の領主でもありましたが、たいへん厳正で領民思いの善政を行ったため、その感謝の意を込めて、貞享元年(1684年)にこの碑が建てられたそうです。




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by sakanoueno-kumo | 2017-06-14 01:40 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)  

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