おんな城主 直虎 第24話「さよならだけが人生か?」 ~新野親矩の娘たちの縁組~

今話は井伊家にまつわる縁組の回。龍雲丸盗賊団が去り、久々に実在の人物の逸話です。


 新野親矩の三女・の元に持ち込まれた縁組の相手は実在の人で、名は庵原助右衛門朝昌。ドラマ中でも紹介されていたように、今川家の譜代の重臣・太原雪斎の一族にあたる人物です。イケメンの好青年に描かれていましたが、実際には、この頃の朝昌は数えで12~3歳少年だったと見られます。だから、ドラマでは長女、次女を差し置いて三女の桜との縁談という設定にしたのでしょうね。ドラマでは三人姉妹ですが、実際には、親矩には一男七女があったとされます。親矩は井伊直虎の母・祐椿尼の実兄で、この頃の直虎が30歳前後だったとすると、親矩は生きていれば50歳以上だったと思われます。その娘と考えれば、ドラマのとおり、たぶん、末の方の娘が朝昌の相手だったんでしょうね。


 ちなみにこの朝昌ですが、今川氏滅亡後は武田氏に仕え、武田氏滅亡後は羽柴秀吉家臣の戸田勝隆に仕え、その後、井伊直政の家臣になります。ところがほどなく直政ともめて出奔。各地を流浪したのち、再び直政の元に戻ってきます。ドラマでは、その誠実さが直虎のお眼鏡に叶った朝昌ですが、桜はこの先けっこう苦労しそうです(笑)。


 で、もうひとりの親矩の娘・桔梗の縁組。こちらも史実のようで、相手は北条氏家臣の狩野泰光の子息。狩野泰光は別名・狩野一庵宗円としても知られ、後年の豊臣秀吉による小田原征伐の際、あの凄惨八王子城の戦いで討死する人物です。桔梗の縁談相手であるその息子のことはよくわかりませんが、父と一緒に八王子城を守備していたとすれば、その妻・桔梗も城に篭っていたと考えていいでしょうね。八王子城の戦いは、女、子どもに至るまで容赦なく斬り捨てられた大虐殺の戦いとして知られます。ということは桔梗も・・・。直虎死後のことですから、そこまでドラマで描かれることはありませんが。


 とまあ、その後の歴史を知っている後世からみれば、ふたりとも決していい縁談とはいえそうにありませんが、この時点の井伊家がそれを知るはずがありません。落ちぶれたとはいえ、「海道一の弓取り」とうたわれた今川氏が、このわずか2年後に滅亡するなど思いもよらなかったでしょうし、20余年後には北条氏までもが滅亡に至るなど、予期できるはずがないですね。この時点での弱国・井伊家にとっては、大国に挟まれながら生き残っていくための必死の知恵だったのでしょう。


直虎「桔梗殿の縁談も取り持ってはくれぬか」

政次「お相手は今川の家臣にございますか?」

直虎「北条じゃ。北条ならば、今川の唯一の味方。今川に怪しまれることもなかろうし、動きを知りたいところでもある」

政次「・・・・なかなか、よろしきお考えかと・・・」


南渓「しかし、思うたよりそなたの働きは認められておったようじゃの」

直虎「あれは迷惑な話にございましたねぇ。阿呆なおなごが治める取るに足らぬところよと見なされておったほうが、井伊はよほど動きやすいではございませぬか」

南渓「もうおとわはおらぬのじゃのぅ。つまらんのぅ・・・」


しの「なんだか、いっぱしの殿様のようになってまいりましたね」


皆が直虎の成長を認めはじめたのか、皆が認めるようになったから成長したのか、直虎が名実ともに城主となりつつあるようです。

もっとも、それも長くは続かないのですが・・・。



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by sakanoueno-kumo | 2017-06-19 20:55 | おんな城主 直虎 | Trackback | Comments(0)  

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