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太平記を歩く。 その77 「赤松五社八幡神社」 兵庫県赤穂郡上郡町

前稿で紹介した赤松居館跡のすぐ西隣にある「五社八幡神社」を訪れました。

「五社八幡神社」という名の神社は「その33」で紹介したように神戸市北区にもありますので、ここでは便宜上、「赤松五社八幡神社」と呼ぶことにします(このあたりの住所は、上郡町赤松といいます)。


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参道には、「赤松圓心廟影堂」と刻まれた石碑がありましたが、これは近くの「宝林寺」のもののようです。


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赤松五社八幡神社は、赤松則村(円心)の三男で領家を継いだ赤松則祐が建立したといわれ、明治32年(1899年)には、白旗城麓にあった白旗神社を合祀したそうです(参照:その57)。


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拝殿です。

拝殿内には、中世から戦国時代にかけての武将が描かれた絵馬が、数多く奉納されていましたので、紹介ます。

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まずは、左から北畠親房、源頼朝、源義経


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左から毛利元就、源為朝


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左から吉川元長、小早川隆景、山名宗全


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左から平知盛、細川幽斎(藤孝)


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左から太田持資(道灌)、鈴木重幸、児島高徳


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左から足利義詮、大内義弘


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左から北条時宗、源義朝、北条時頼


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右が加藤清正


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左から源義家、平忠度


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左から斯波義将、武田信玄、楠木正行


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左から柴田勝家、豊臣秀吉


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左から伊達政宗、北条氏政


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左から織田信長、北畠信雄、名和長年


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左から平重盛、上杉謙信


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左から新田義貞、源頼政、新羅三郎義光(源義光)


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左は佐々木高綱、右は・・・明記されていません。だれでしょう?


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そして最後に細川勝元


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というわけで、人選配列も何を基準にしているのかよくわかりませんが、時代が違った英雄たちの絵馬がずらりと掲げられていました。

『太平記』関連でいえば、南朝方の児島高徳、楠木正行、新田義貞、北畠親房、名和長年の絵馬があるのに、なんで楠木正成がいないんでしょうね?

それに、どういう理由か、郷土の英雄である赤松氏からの人選がありません。

ただ、こんなのがあります。


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左は長山遠江守、右が赤松弾正と明記されています。

長山遠江守がよくわからないのですが、名門・土岐氏の人物のようで、赤松弾正というのは、円心の四男で則祐の弟にあたる赤松氏範のことだそうです。

氏範は3人の兄と仲が悪く、円心の死後はひとり南朝方に与し、幾度となく兄弟対決を繰り返しながら、最後は京都の清水寺自害した人物です。

絵馬には、明治11年と記されています。

明治以降の天皇家の歴史認識では南朝が正統とされていますから、赤松氏では唯一南朝方に与した氏範だけが、絵馬としてここに祀られたのかもしれませんね。



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by sakanoueno-kumo | 2017-06-28 22:38 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)  

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