太平記を歩く。 その81 「感状山城跡」 兵庫県相生市

「その72」で紹介した白旗城から東へ7kmほどの場所にある感状山城跡を訪れました。

ここは、建武3年(1336年)に赤松則村(円心)が白旗城にて新田義貞軍を50日間足止めにする戦いを演じた際、円心の三男・赤松則祐が、父に呼応してこの城に籠城し、白旗城を援護したと伝わる城です。


e0158128_22280889.jpg

もとはこの城は瓜生城と呼ばれ、鎌倉時代に瓜生左衛門尉によって創築されたと伝えられますが、「白旗山合戦」の戦功により、足利尊氏から感状を与えられて「感状山城」と呼ばれるようになったと伝えられています。


e0158128_22300777.jpg

標高305m、比高220m感状山ですが、中腹に「羅漢の里」というキャンプ場公園があり、そこから約650mの道のり。

登山道も整備されていて、2.5kmの険峻な登山だった白旗城跡に比べれば、楽に登れます。


e0158128_22325772.jpg

整備された登山道を15分ほど登ると、大手門跡にたどり着きます。

e0158128_22341107.jpg

その横には、物見岩跡があります。


e0158128_22350360.jpg

そのすぐ北側に曲輪跡」があります。

いわゆる「三の丸」のことですね。


e0158128_22355137.jpg

かなり広い面積です。


e0158128_22365963.jpg

ここから急な岩場を登ります。

おそらく、石垣が崩れた跡でしょう。


e0158128_22380547.jpg

岩場を登ると、みごとな石垣の遺構が目に入ります。


e0158128_22390652.jpg

標識には、「南曲輪群」とあります。


e0158128_22401053.jpg

綺麗に残っていますね。

中世の山城では、これほどみごとな石垣跡はなかなか見られないのではないでしょうか。

ただ、この石垣が南北朝時代のものかどうかはわかりませんが。


e0158128_22411249.jpg

南曲輪群から見た南側の眺望です。


e0158128_22425670.jpg

そしてその北側が曲輪跡」です。


e0158128_22441015.jpg

そして更に北へ進むと、曲輪跡」に到着します。

つまり「本丸」ですね。


e0158128_22454097.jpg

曲輪は広大でしたが、曲輪、曲輪は、それほど広い面積ではありません。

白旗城の支城ですから、本城よりは規模の小さなものだったのでしょう。


e0158128_22464988.jpg

本丸からの東側の眺望です。


e0158128_22482193.jpg

その後の感状山城については詳しくはわかっていませんが、天正5年(1577年)の羽柴秀吉上月城攻めの際に落城したとの説があります。




「太平記を歩く。」シリーズの、他の稿はこちらから。

 ↓↓↓

太平記を歩く。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
   ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

[PR]

by sakanoueno-kumo | 2017-07-05 23:46 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)  

トラックバックURL : http://signboard.exblog.jp/tb/25895333
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]

<< 太平記を歩く。 その82 「大... 太平記を歩く。 その80 「高... >>