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太平記を歩く。 その90 「楠木正成本陣跡」 神戸市兵庫区

神戸市兵庫区の山の手にある会下山公園を訪れました。

ここは、湊川の戦いにおいて楠木正成が陣を布いたといわれるところです。


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『太平記』には楠木正成軍が陣を置いた地について、「湊川の西の宿にひかえて、陸地の敵に相向う」と記されており、『梅松論』には「湊川の後ろの山より里まで」とあります。

それらの条件を満たす場所といえば、高台になっているこの場所なんですね。

現在は、見晴らしのいい公園になっており、その公園内のいちばん高いところに、「大楠公湊川陣之遺蹟碑」と刻まれた巨大な石碑が建てられています。


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建武2年(1335年)12月11日、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)に叛いて武家政権の樹立を目指す足利尊氏は、竹之下で新田義貞を破り、翌年の1月、京に攻め上がりましたが、その隙をついて北畠顕家が尊氏不在の鎌倉を占拠すると、そのまま尊氏の後を追い西上、尊氏軍を撃破します。

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さらに豊島河原・打出浜の戦いにも敗れた尊氏は、海路九州へ敗走しますが、その後、多々良浜の戦いに勝利して体制を立て直すと、光厳天皇(北朝初代天皇)を奉じて東上を開始。

これを迎え撃つため、楠木正成は京を発し、5月24日、既に新田義貞が布陣する湊川に着陣し、ここ会下山に本陣を布きます。

楠木勢の総兵力は、わずか700余りだったといわれます。


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石碑の揮毫は東郷平八郎元帥だそうです。


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石碑の建つ場所からは、神戸市の中心部が一望できます。

現在は高いビルに阻まれていますが、かつてはここから海辺が見渡せたはずです。

勝算の薄い戦いを前にしてこの地に着いた正成たちは、この景色を前に何を思っていたのでしょう。



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by sakanoueno-kumo | 2017-07-21 18:12 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)  

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