太平記を歩く。 その95 「廣厳寺」 神戸市中央区
「その92」「その93」「その94」で紹介した湊川神社から400mほど北上ところに、廣厳寺という寺院があります。
ここは別名「楠寺」とも呼ばれ、楠木正成の菩提寺となりました。
正成は「湊川の戦い」を前にしてこの寺に参り、明極禅師と問答して大いに悟って戦いに臨んだと伝えられます。
また、正成と弟の楠木正季が自刃したのも、ここ廣厳寺の塔頭だったとも言われます。
戦歿地としては「その92」で紹介した湊川神社本殿裏がありますが、実際には、このあたりということだけで、詳細な場所はわかっていないのでしょうね。
もはやこれまでと観念した正成は、部下を布引方面に逃した後、湊川北の民家に入って小屋に火をかけて自刃したと伝えられますが、その民家というのが、ここ廣厳寺の塔頭だった・・・と。
その後、当寺は一時、荒廃しますが、延宝年間に千巌宗般が荒廃この寺を再興。
そのとき、千巌は水戸黄門で知られる徳川光圀が楠公を追悼する建碑の意向があることを知り、強く請願したと伝えられます。
境内にある石碑には、たぶんそのことが書かれていると思います(スミマセン、読解できません)。
現在、徳川光圀が揮毫した「嗚呼忠臣楠子之墓」の石碑は、前稿で紹介した近くの湊川神社にあります。「太平記を歩く。」シリーズの、他の稿はこちらから。
↓↓↓
ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
↓↓↓
by sakanoueno-kumo | 2017-07-29 08:19 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)