太平記を歩く。 その103 「楠木正成首塚(観心寺)」 大阪府河内長野市
楠木正成の廟所は「その94」で紹介した神戸市の湊川神社にありますが、前稿で紹介した大阪府河内長野市にある観心寺には、正成の首塚があります。
こちらが正成の首塚です。
石碑に刻まれた「非理法権天」の文字は、「非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たず」という意味の漢詩で、正成が旗印として用いたと言われています。
まるで天皇陵のような厳かさです。
門扉には、楠木家の家紋「菊水」があります。
墓石は五輪塔です。
高さは1mほどでしょうか?
特に立派なものではありません。
湊川の戦いに敗れ、弟・楠木正季と差し違えて自刃した正成の首は、一時、京都の六条河原に梟首されますが、その後、足利尊氏の命により、ここ観心寺に届けられて首塚として祀られたといいます。
『太平記』巻16「正成首送故郷事」では、正成の首が届けられたときのことを、こう伝えます。
貌をみれば其ながら目塞り色変じて、替はてたる首をみるに、悲の心胸に満て、歎の泪せき敢ず。今年十一歳に成ける帯刀、父が頭の生たりし時にも似ぬ有様、母が歎のせん方もなげなる様を見て、流るゝ泪を袖に押へて持仏堂の方へ行けるを、母怪しく思て則妻戸の方より行て見れば、父が兵庫へ向ふとき形見に留めし菊水の刀を、右の手に抜持て、袴の腰を押さげて、自害をせんとぞし居たりける。
父・正成のあまりにも変わり果てた姿を見た11歳の嫡男・楠木正行は、父の形見の刀で自害しようとした・・・と。
これを見た母・久子は急いで駆け寄り、こう叱責します。
「栴檀は二葉より芳」といへり。汝をさなく共父が子ならば、是程の理に迷ふべしや。
「栴檀は双葉より芳し」とは、大成する者は幼いときから人並み外れてすぐれているということ。
つまり、楠木正成の息子ともあろう者が、この程度のことで何を血迷っているのか・・・と。
有名なくだりですね。
母は強し。
傷んで読みづらいのですが「詠楠木正成卿歌短謌」と刻まれているようです。
正成関連の歌を集めた碑でしょうか?
墓所横に建てられた忠魂塔です。
寺領には、後醍醐天皇の皇子・後村上天皇(第97代天皇・南朝第2代天皇)陵もあるのですが、また別の機会に紹介します。
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by sakanoueno-kumo | 2017-08-11 22:26 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)