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おんな城主 直虎 第36話「井伊家最後の日」 ~虎松の養子入り~

 三河国の鳳来寺に入っていた虎松(のちの井伊直政)が、生母の再婚先である松下清景養子となったのは史実です。ただ、どのタイミングで養子となったかは定かではありません。『寛政重修諸家譜』によると、母の再婚とともに虎松も松下家の養子になったと記されていますが、『井伊家伝記』では、井伊家一族が集まって虎松を徳川家康に出仕させる計画を立て、鳳来寺には黙って家康の臣下である松下家の養子になったと伝えます。鳳来寺からは事情を尋ねるべく使者が何度も訪れますが、南渓瑞聞和尚が、その都度、言いくるめていたとあります。


 ドラマでは、清景の弟・松下常慶が持ち込んだ養子の申し出に対して、「虎松を松下によこせということか?」と困惑する井伊直虎に、「虎松君に松下をさしあげたいということでございます」と常慶が答えていましたが、それは詭弁ですよね。ドラマでも言っていたとおり、清景には継嗣がおらず、養子に迎えるということは、即ちあととりです。松下姓を名乗るということは、松下の家に入るということ。実子のいなかった清景にしてみれば、再婚相手の生んだ子で、しかも筋目的にも申し分ないですから、虎松を松下家のあととりにすべく養子に迎えたのでしょう。『井伊家伝記』でも、松下家の養子になったのは徳川家に士官するための隠れ蓑のようなニュアンスで伝えますが、これも、後世に都合よく脚色された話かと思われます。


 つまり、井伊家は、この時点でいったん潰れたと考えていいでしょう。井伊谷城を追われ、井伊家の血を引く唯一の男子である虎松が養子に行ったわけですからね。その虎松が生きている以上、井伊家再興の可能性はゼロではなかったでしょうが、それは極めて薄い希望だったと思われます。ドラマのとおり、この時点の直虎たちは、井伊家再興をいったん諦めたのかもしれませんね。


 井伊谷城を追われたあとの直虎や家臣たちがどうしていたかについては、史料が乏しく定かではないようです。ただ、のちに井伊家が井伊谷に戻ってきたときには、旧臣たちも戻ってきていますから、おそらく、ドラマのように近藤康用井伊谷三人衆などに士官し、井伊谷周辺にいたんでしょうね。直虎はおそらく龍潭寺尼僧として過ごしていたことでしょう。少なくとも、盗賊からプロポーズされることはなかったかと思います。たぶん。


 ネタバレになりますが、後年、虎松は松下家に入ったことで家康の知遇を得ることとなり、やがて井伊氏に復することを許され、名を井伊万千代と改めて井伊谷に戻ってきます。井伊家再興を諦めて養子に行ったことが、結局はのちの井伊家再興に繋がったわけです。歴史って面白いですね。家康にあととりを取られてしまった清景は、中野直之の次男の松下一定を養子として跡を継がせます。虎松を家康に引き合わせた清景にしてみれば、「そんな~!」だったんじゃないでしょうか。



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by sakanoueno-kumo | 2017-09-12 23:08 | おんな城主 直虎 | Trackback | Comments(0)  

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