太平記を歩く。 その126 「吉野神宮」 奈良県吉野郡吉野町
桜の名所で有名な奈良県の吉野山にやってきました。
といっても、訪れたのは真夏の7月のことで、桜はまったくありまぜん。
桜の季節は観光客でいっぱいですからね。
『太平記』における吉野山は、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が足利尊氏の擁立する京の北朝に対して南朝を樹立したところとして重要な場所ですが、『太平記』の描く吉野山はそれだけではなく、巻7「吉野城軍の事」、巻18「先帝吉野潜幸の事」、巻26「正行吉野に参る事」、「吉野炎上の事」、巻34「吉野御廟神霊の事」と、多岐にわたって登場しますので、時系列でめぐっていくのはたいへん難しい。
そこで、ここからしばらくは、時系列から外れて吉野山特集でいこうと思います。
最初に紹介するのは、吉野山の北西麓付近に鎮座する「吉野神宮」。
ここは後醍醐天皇を祭神とする神社で、明治22年(1889年)に明治天皇(第122代天皇)の意向によって創建されました。
もともとは、後村上天皇(第97代天皇・南朝第2代天皇)の勅命により後醍醐天皇の御尊像を吉水院に奉安し、以後、550年間、代々供養が続けられていきましたが、明治になり、吉水院は後醍醐天皇社と改称し、その後、吉水神社と改称されました。
しかし、明治政府の打ち立てた神仏分離の目的で、別に社地を定めて後醍醐天皇を祭るように指示が出され、ここ吉野神宮の創建に至ったそうです。
全国にある「建武中興十五社」の一社で、旧社格は「官幣大社」でした。
拝殿です。
本殿です。
拝殿の横に並ぶ摂社には、後醍醐天皇の「建武の新政」に功績のあった、日野資朝、日野俊基、児島高徳、桜山茲俊、土居通益、得能通綱などが祀られています。
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by sakanoueno-kumo | 2017-09-19 23:46 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)