太平記を歩く。 その142 「後醍醐天皇御幸の芝・慰霊歌碑」 奈良県吉野郡吉野町

前稿で紹介した吉水院宗信法印の墓から南へ急坂を登ると、右側の桜が茂る小さは平地に、「後醍醐天皇御幸の芝」があります。


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後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が吉野山皇居にいた延元4年/暦応2年(1339年)5月のある日、大勢のお供を連れてこのあたりまで御幸した際、空模様が怪しくなり、雨が降り始めたそうです。


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そこで、かたわらの観音堂に入ってしばらく休まれるうち、


ここはなほ 丹生の社にほど近し 祈らば晴れよ 五月雨の空


と詠まれると、急に空が晴れ渡り、うららかな日和になったそうです。


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この話は、『吉野拾遺』という説話集に記された逸話で、それ以来、その観音堂を「雨師観音」と呼ぶようになったのだそうです。

他にも、「夢違い観音」とも呼ばれていたそうですが、明治8年(1876年)、神仏分離によって廃されたそうです。


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現在、雨師観音があった場所には、小さな社があります。


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後醍醐天皇御幸の芝から北を見下ろすと、金峯山寺蔵王堂が見えます。


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雨師観音の伝承、信じるか信じないかは別にして、後醍醐天皇の波乱万丈の人生のなかの和みのひとときにふれた気がしますね。

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近くには、「後醍醐天皇御慰霊詩碑」と刻まれた大きな石碑があり、後醍醐天皇の御製が刻まれています。


「ここにても 雲居の桜 咲きにけり たくかりそめの 宿を思ふに」


同じく石碑には「松の下露」と題したが刻まれています。

この詩が誰のものかは調べがつきませんでしたが、「松の下露」とは、元弘の乱に敗れて笠置山から逃れる途中の後醍醐天皇が、大きな松の下で休息をとり、そのときにお供の藤原藤房と交わした歌に由来します。


「さしていく笠置の山をいでしより 天が下にはかくれがもなし」


吉野山に南朝を起こした後醍醐天皇でしたが、「こんなところに来たくはなかった」という思いが伝わってきますね。




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by sakanoueno-kumo | 2017-10-15 00:40 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)  

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