坂本龍馬 没後150年の命日に思う。

坂本龍馬暗殺されたのは、慶応3年11月15日(1867年12月10日)。

つまり、今日が150回目の命日にあたります。

約1年前になりますが、京都国立博物館で行われていた「特別展覧会 没後150年 坂本龍馬」に行ってきました。

その後、今年に入って、長崎、東京、静岡で同じ展覧会が行われていたそうですね。

残念ながら展示品は撮影禁止のため紹介できませんが、130通余り残されている龍馬直筆の手紙や、愛用した北辰一刀流の目録など、なかなか見ごたえがありました。

龍馬の手紙は本にもなっているので、有名なものはこれまで何度も読んで知っていたのですが、やはり、実物で読むとさらに引き込まれましたね。

この日、午後1時から6時半過ぎまで、6時間近く展示品に見入っていました。


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龍馬が殺された150年前の今日は、朝からだったといいます。

前日から龍馬は風邪気味だったため、それまで潜んでいた近江屋のはなれの土蔵から、母屋の2階に移っていました。

そこに夕刻、中岡慎太郎が訪ねてきます。

このとき近江屋2階には、龍馬の下僕・藤吉と、書店菊屋の息子・峯吉がいました。

やがて土佐藩下横目の岡本健三郎も訪れますが、しばらく雑談を交わしたのち、龍馬が峯吉に「腹がすいたから軍鶏を買ってこい」と命じると、岡本も峯吉と一緒に部屋をでました。

峯吉が軍鶏を買い戻ってくるまでの時間がおよそ20~30分

その間に事件は起きました。


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午後9時過ぎ、数人の武士が近江屋を訪れます。

入口を叩く音に藤吉が応対に出ると、「拙者は十津川の者、坂本先生ご在宿ならば、御意を得たい。」と、名刺を差し出しました。

十津川郷士には龍馬も慎太郎も知己が多いので、藤吉は特に怪しむことなく龍馬に名刺を渡し、部屋から戻ってきたところを尾行していた3人の男のうちのひとりが斬りつけます。

その物音を聞いた龍馬は、藤吉が客人とふざけていると思い、奥から「ほたえな!」大喝しました。

この声で、刺客たちは龍馬の所在を知ります。

そして藤吉の持ってきた名刺を眺めていた龍馬と慎太郎のところへ、電光石火の如く飛び込んできた刺客2名は、あっという間もなく龍馬たちに斬りかかりました。

そのひとりが「こなくそ!」と叫んで慎太郎の後頭部を斬り、もうひとりは龍馬の前額部を横にはらいます。

龍馬は床の間に置いてあった刀を取ろうと身をひねったところを、右肩先から左背骨への二の太刀を受けます。

続いての三の太刀は立ち上がりざまで受け止めるも、鞘を割られ、刀身を削り、その勢いでまたも龍馬の前額はなぎはらわれます。

脳漿が吹き出すほどの重傷をうけた龍馬は、そのまま倒れました。

慎太郎も刀を屏風の後ろに置いてあったため、短刀を抜き応戦したものの、龍馬以上に数創の太刀を受けて倒れます。

刺客たちは止めの太刀を入れることなく、「もうよい、もうよい」との言葉を残して立ち去りました。

この刺客たちの、ほとんど間髪を入れない技に、腕には覚えのあった龍馬も慎太郎も、完全に立ち向かうすきがありませんでした。


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龍馬は間もなく正気を取り戻し、刀を抜いて行灯に照らしながら無念げに慎太郎に向かって「石川(慎太郎の変名)、手はきくか。」とたずねたといいます。

慎太郎が「手はきく」と答えるのを聞きながし、行灯をさげて隣の六畳間へにじり寄り、階段上から家人を呼んで医者を求めましたが、そのときは既に精根が尽きていました。

「俺は脳をやられた。もういかん。」とかすかに呟くと、うつぶしたまま龍馬は絶命しました。

その血は欄干から下の座敷までしたたり落ちていたといいます。

坂本龍馬、享年33歳。

奇しくもこの日、龍馬の33回目の誕生日でした。


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慎太郎は蘇生し、2日間生き延び、一時は焼き飯を食べるほどの元気を取り戻していたといいますが、その後、容態は悪化し、17日に死去します。

中岡慎太郎、享年30歳。

現在に伝わる襲撃時の様子は、蘇生した慎太郎が語ったものだといわれています。


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上の写真は展示会場を出たときに撮影したもの。

展示品に見入ってしまい、気がつけば外は夜になっていました。

下の写真は、展示会場で購入した没後150年の図録です。


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龍馬、慎太郎が凶刃に倒れてから今日で150年が経ちました。

ちなみに、不肖わたくし、今年50歳。

龍馬没後100年の年に生まれました。

わたしが生まれたときには、龍馬たちが殺されたときに既に生まれていた人が、まだたくさんこの世にいたんですね。

わたしの父は昭和5年(1930年)生まれ、わたしの母は昭和13年(1938年)生まれですが、龍馬たちと共に土佐勤王党に参加していた田中光顕という人物は、昭和14年(1939年)まで生きています。

田中光顕は慎太郎の陸援隊の幹部で、龍馬たちが襲撃されたとき、その現場に駆けつけて重傷の慎太郎から経緯を聞いた人です。

わたしの父や母が生まれた頃には、まだそんな人物が生きていたわけで、そう考えると、龍馬たちの時代って、そんなに昔ではないんですよね。


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上の写真は京都東山にある龍馬と慎太郎の墓所です。
毎年11月15日には、ここで坂本龍馬命日祭が行われていますが、
今年は150回忌の法要ですから、さぞかし盛大に行われるのでしょうね。


さて、次稿では、没後150年の節目ということで、改めて暗殺犯の諸説を考えてみたいと思います。






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by sakanoueno-kumo | 2017-11-15 00:06 | 歴史考察 | Trackback | Comments(0)  

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