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坂本龍馬 没後150年の節目に再考する暗殺犯の諸説。 その1

坂本龍馬150回目の命日を迎えた昨日の稿で、襲撃当日の記録を追いましたが、本稿では、その暗殺犯について改めて考えてみたいと思います。

当ブログでは7年前にも同じネタを起稿していますが(参照)、あれからわたしも色々と見聞きし、少し考えが変わっています。

まあ、もとより確信を得た説などないんですけどね。

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実行犯については、今では通説となっている京都見廻組の面々(佐々木只三郎を頭に、今井信郎、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂隼之助、土肥仲蔵、桜井大三郎の7人)と見てほぼ間違いないんじゃないでしょうか?

彼らの供述に多少の矛盾点があることから、一部、見廻組説を否定する意見を耳にしますが、歴史研究家の方々のあいだでは、否定する人がほぼいない定説となっているかと思います。

問題は、誰が彼らに殺らせたか?・・・ですね。

実際、今井信郎渡辺篤(渡辺吉太郎と同一人物?)は、襲撃の理由を「上からの御指図」と供述しており、また、自分たちの斬った坂本という人物が、それほどの大人物だとは知らなかった、と後年に語っていることからみても、彼らは所詮、末端の実行犯に過ぎなかったでしょう(リーダー格の佐々木只三郎だけは龍馬を暗殺する政治的意図を知っていたかもしれませんが、佐々木は龍馬の死の2ヶ月後に戦死しており、死人に口なしです)。

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「上からの御指図」という供述を素直に解釈すれば、見廻組の上役である京都守護職、つまり会津藩主の松平容保になります。

事実、前年の寺田屋事件以降、幕府は龍馬を罪人として指名手配しており、見廻組も新選組も、龍馬を追っていました。

シンプルに考えれば、松平容保の命令という見方が正しいように思いますが、ただ、釈然としないのは、京都守護職からの指図であれば、正当な警察権の行使であり、暗殺する必要があったのか?・・・という疑問です。

殺さずに捕縛すればいいはずで、仮にやむを得ず殺してしまったとしても、新選組の池田屋事件のように、堂々と名乗りをあげれば良かったはず。

しかし、龍馬襲撃は紛れもなく暗殺でした。


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この疑問について、この時期は大政奉還後であり、京都守護職も見廻組も「公務」ではなかったとする意見もあります。

たしかに、この約1ヵ月前に将軍・徳川慶喜によって大政奉還が宣言されましたが、幕府の廃止が公式に宣言されるのは12月9日の「王政復古の大号令」においてであり、薩長の新政権が誕生するのも、そのあとのことです。

龍馬が襲撃されたこの時期はまだ、政権は幕府にありました。

現代でも、衆議院を解散しても次の選挙で新しい内閣ができるまで、現状の暫定内閣が国の執行部ですからね。

現に、慶喜は政権を投げ出すと公言したものの、容保はじめ幕府役人の多くはこれに反対の意志を示しており、彼らにしてみれば、少なくとも鳥羽伏見の戦いで薩長軍に錦旗が掲げられるまでは、自分たちの行いは幕府という日本国政府「公務」だという認識だったと思います。

したがって、容保の命令であれば、「坂本を捕縛せよ。抵抗するならば斬り捨ててもよい。」となったんじゃないかと。


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歴史家の磯田道史氏は、佐々木只三郎の兄で会津藩公用人であった手代木直右衛門が、松平容保の命で佐々木に実行させたと説かれています。

龍馬は、幕府若年寄永井尚志のもとへ、暗殺される前日まで連日のように通いつめており、その永井の寓居の向かい側に佐々木の下宿していた松林寺があり、龍馬の行動は逐一監視されていた、と。

磯田氏がMCをつとめる『英雄たちの選択』で力説しておられました。

なるほど、そう聞けば説得力がありますが、だとしても、なぜ暗殺しなければならなかったか、という疑問は拭えません。

こうした事件は穿った見方をせず、シンプルに考えたほうがいいとは思うのですが、闇夜に紛れた暗殺という事件の内容を思うと、やはり、腑に落ちない点が多いんですよね。

というわけで、次回、他説を考えます。







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by sakanoueno-kumo | 2017-11-16 03:43 | 歴史考察 | Trackback | Comments(2)  

Commented by heitaroh at 2017-12-08 11:35
この番組は私も見ました。
磯田という人は本当に凄いなあと思います。
大体、同じ結論に達するのですが、彼の方が7:3で早い(笑)。
ただ、佐々木只三郎、手代木直右衛門説で間違ってはいないと思いますが、それで、松平容保まで到達するのはどうかなと。
西郷暗殺なら容保の許可を得なければならないでしょうが、フリーランスの坂本であれば、手代木の判断だけで十分だったのでは無いかと。
Commented by sakanoueno-kumo at 2017-12-08 16:20
> heitarohさん

磯田氏の著書も何冊か読みましたが、文章が平易で読みやすく、しかも、よく調べられていて、極端な穿ちもなく、わかりやすいものばかりです。

後世が思うほど当時の龍馬は大物ではなかったという意見はわたしも同感ですが、そのフリーランスのとるに足らない人物が、幕府高官の永井尚志に何度もお目通りがきいて政局を語れたという時点で、このとき、すでに身分的秩序はずいぶん崩壊していたことがわかります。
あるいは、永井邸で龍馬は容保とも面会したかもしれません。
ただ、容保は、おそらくそんな秩序の崩壊は苦々しく思っていたでしょうし、薩長の間をウロチョロしながら永井邸にまで出入りしている龍馬の存在に、嫌悪感をいだいたというのは想像できます。
「あの、目障りな浪人を殺せ!」的な。
まあ、想像の域をでませんけどね。

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