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太平記を歩く。 その171 「楠木正行終焉の地(霊光院)」 大阪府東大阪市

東大阪市上四条町にある「霊光院」という寺院の入口に、「小楠公終焉所」と刻まれた石碑があります。

ここは、前稿で紹介した往生院六萬寺から500mほど北上した場所で、ここが本当に楠木正行終焉の地だったかどうかはわかりませんが、正平3年/貞和4年(1348年)1月5日の「四條畷の戦い」の舞台が、「その163」から「その167」で紹介した通説の現在の四条畷市ではなく、東大阪市の四条付近だったという説に則ったものだと思われます。


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ここ石碑が建てられたのは、明治21年(1888年)当時この土地を所有していた人物が、この場所を掘ったところ、、多数の人骨や武具などが出土したそうで、これを伝承の四条綴の戦いの遺物であると考え、これを丁重に埋め戻してこのを建てたそうです。

また、この「霊光院」と道を隔てた場所に、かつて「楠公院」という寺院があったそうで、この寺院の境内からも人骨や武具などが出土したらしく、供養塚が建てられいたそうですが、現在、その寺院はなくなり、供養塚もなくなっています。


太平記を歩く。 その171 「楠木正行終焉の地(霊光院)」 大阪府東大阪市_e0158128_20235633.jpg


ただ、この地は応仁の乱後の文明9年(1477年)、管領の畠山義就畠山政長による家督相続争いの戦場にもなっており、武具や人骨などが出土する可能性が大いにある地域だそうで、四条綴の合戦との関連が裏付けられたわけではありません。

今だったら、いつの時代のものかまで分析できたんでしょうけどね。




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by sakanoueno-kumo | 2017-12-24 21:17 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)  

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