幕末京都逍遥 その49 「お龍の実家跡」
前稿で紹介した「西川耕蔵邸址」碑から少し南下した柳馬場三条下ルにある居酒屋の入口前に、坂本龍馬の妻・お龍の実家跡の石碑が建てられています。
石碑には「この付近 坂本龍馬 妻 お龍の実家 楢崎家跡」と刻まれています。
お龍は、青蓮院宮に仕える侍医・楢崎将作の長女として天保12年(1841年)に富小路六角付近で生まれたといわれ、しばらくしてしばらくしてこの地に移り住んだそうです。
お龍には4人の弟妹いましたが、父が侍医ということもあって比較的裕福な家だったようで、家事などを任されることもなく、生け花、香道、茶の湯などを嗜むお嬢様育ちだったようです。
ところが、お龍の父は勤王家だったようで、「安政の大獄」で捕らえられてしまいます。
お龍の父が仕えた青蓮院宮尊融法親王(のちの中川宮朝彦親王)が蟄居を命じられていますから、その処分に連座した逮捕だったのでしょう。
その後、大老・井伊直弼の死によって赦免されますが、文久2年(1862年)に病死してしまいます。
そこから、残されたお龍たち家族の生活は一変し、困窮を極めることになります。
その後、お龍は七条新地の旅館「扇岩」で働き、お龍の母・貞は、方広寺大仏殿近くの土佐藩出身の尊攘派志士たちの隠れ家で賄いをするようになるのですが、そこで、お龍は龍馬と出会うことになるんですね。
ここ柳馬場三条下ルに暮らしていた頃のお龍は、裕福な家のお嬢様でした。
龍馬も、下士の身分とはいえ裕福な家庭育ちのおぼっちゃんです。
龍馬が姉・乙女に宛てた手紙のなかで、お龍のことを「まことにおもしろき女」と紹介しているエピソードは有名ですが、きっと、お嬢様とおぼっちゃんだからこそ、フィーリングが合ったんじゃないでしょうか。
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by sakanoueno-kumo | 2018-05-06 00:07 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)