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幕末京都逍遥 その81 「京都守護職屋敷門」

平安神宮の西側にある観光バスの駐車場に、古い門だけがポツリとあります。

この門は、幕末の京都を警備した京都守護職屋敷門が移築されたものだそうです。


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京都守護職の屋敷は、現在の京都府庁と京都府警察本部のあたりにありました。

明治に入って、その跡地には京都府庁の庁舎が建てられ、明治32年(1899年)にこの地に建てられた大日本武徳会の本部道場「武徳殿」の正門として、この門が移築使用されたそうです。

現在、武徳殿は都市武道センターとなっています。


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京都守護職とは、言うまでもなく会津藩主の松平容保です。

幕末、尊王攘夷派過激志士たちによる天誅押し込みなどの騒乱が京のまちに横行し、既存の奉行所所司代のみでは防ぎきれないと判断した幕府が、洛中の治安維持御所、二条城警備などを担う役割として、京都守護職という臨時の軍事職を設置します。

そこで白羽の矢が立てられたのが、会津藩と容保だったんですね。

容保に京都守護職就任を求めたのは、政事総裁職松平春嶽と、当時、将軍後見職を務めていた一橋慶喜(のちの徳川慶喜)でした。

要請を受けた容保が頑なに固辞しますが、春嶽が会津藩祖・保科正之「会津藩たるは将軍家を守護すべき存在」との家訓を引き合いに出したため、ついに承諾せざるを得なくなります。

文久2年(1862年)8月1日のことでした。

これを聞いた会津藩の家臣たちは、「これで会津藩は滅びる」と、肩を抱き合って慟哭したといいます。


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京都守護職屋敷門ということは、容保はもちろん、近藤勇土方歳三新選組の面々も、この門をくぐったかもしれませんね。




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by sakanoueno-kumo | 2018-06-23 23:57 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)  

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