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幕末京都逍遥 その91 「武信稲荷神社」

前稿で紹介した六角獄舎跡のすぐ北西向かいにある「武信稲荷神社」を訪れました。

「武信」というと武田信玄を連想しますが、一切関係なく、平安時代初期、右大臣・藤原良相が藤原氏の医療施設「延命院」の守護神として創建し、その後、藤原武信によって厚く信仰されたことで、「武信稲荷神社」と称されるようになったそうです。


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創建した藤原良相が藤原氏の長として一族の名付けをされていたことから、名付け・命名にご利益がある神社として信仰を集めています。


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手水舎です。

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舞殿です。


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そして本殿です。


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本殿の南側に、推定樹齢850年といわれる榎の巨木があります。

平安時代末期、平清盛の嫡男・平重盛が、安芸の厳島から苗木を移したものと伝えられます。


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こちらがその榎。

前稿で紹介した六角獄舎での平野國臣ら37名の処刑のとき、この榎の木の上に子供たちが登って、処刑現場を目撃したと伝えられます。


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獄舎は本来、処刑場ではありません。

江戸時代の京の刑場といえば、九条山の西のふもと、東海道の出入口とされる粟田口にありました。

しかし、元治元年7月19日(1864年8月20日)の禁門の変(蛤御門の変)の際における火災によって急遽、斬首された平野らは、処刑場に送られることなくこの地で首を落とされたのです。

この榎は高さ23mあり、当時はこの木に登ればかなり遠くまで見渡せたことでしょう。

木に登っていた子供たちは、市中の延焼状況をうかがっているうちに、偶然に処刑シーンを見てしまったのかもしれませんね。


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また、この榎には、もうひとつ坂本龍馬お龍にまつわる伝承があります。

お龍の父である楢崎将作は、青蓮院宮に仕える侍医で、また、熱心な勤王家だったといわれ、将作が仕えた青蓮院宮尊融法親王(のちの中川宮朝彦親王)「安政の大獄」によって蟄居を命じられると、将作もそれに連座して捕らえられ、六角獄舎に投獄されていたようです。

説明板によると、お龍は父の身を案じて龍馬と共に何度か獄舎を訪れますが、当時女性が牢獄へ面会できることもなく、龍馬自身も追われる身であり面会はかなわなかったため、この木によじ登って獄舎のなかの様子を探ったといわれるそうです。

その後、命を狙われる龍馬はお龍と別れて身を隠すことになりますが、お龍がここ武信稲荷神社を訪れると、龍馬独特の字で『龍』の字が榎に彫られていたそうで、これが、龍馬からお龍に宛てた無事だというメッセージだったと伝えられるそうです。


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ここまで読んでふと思ったのは、お龍の父・楢崎将作が死んだのは文久2年(1862年)だったと言われ、龍馬とお龍が出会ったのは元治元年(1864年)頃だったといわれます。

また、龍馬が命を狙われるほど名を轟かせるのは慶応に入ってからのこと。

う~ん・・・この伝承、時系列的に無理がなくない?


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その矛盾に対して、武信稲荷神社のサイトではこう説明しています。

龍馬とお龍の出合いに関しては諸説あって定説はなく、将作は生前、勤皇の志士を厚く支援していたため楢崎家には志士たちがたえず出入りしており、龍馬もそんな将作と親交ができ、その長女であるお龍と出会ったと。

まあ、ない話ではないかもしれませんが、そうすっと、龍馬が将作と知り合ったのは安政の大獄前ということになりますが、当時の龍馬はまだ土佐にいて、土佐勤王党もまだ結成されておらず、当時の若者らしく尊皇攘夷の志は持っていたかもしれませんが、それほど目立った活動はしていません。

ましてや、京都にもほとんど縁がなかったのではないでしょうか(江戸に剣術修行に行く道中に立ち寄るぐらいのことはあったかもしれませんが)。

・・・とまあ、揚げ足取りのような詮索をするのは無粋かもしれませんね。

歴史はロマンですから。


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榎の折れて落下した枝を使ってチェンソーアートの世界チャンピオン城所ケイジ氏によって作られた龍だそうです。


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龍馬おみくじがありました。


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そして、龍馬ファンとして思わずお土産に買ってしまった龍馬とお龍のお守りです。


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龍馬や平重盛や平野國臣の伝承がどこまで信じられるかはわかりませんが、推定樹齢850年の巨木ですから、数々の歴史を目撃してきた木であることは間違いないでしょう。

そんな歴史の生き証人(証木?)のこの榎そのものがロマンといえるかもしれません。



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by sakanoueno-kumo | 2018-07-09 23:13 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)  

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