幕末京都逍遥 その102 「壬生寺(壬生塚)」
前々稿で紹介した八木邸のすぐ南に壬生寺というお寺があるのですが、その境内に、新選組の隊士を祀る壬生塚があります。
壬生寺は正暦2年(991年)、園城寺(三井寺)の僧・快賢が創建したと伝わります。
ご本尊に延命地蔵菩薩像(重要文化財)が安置されているほか、水掛け地蔵や夜啼き地蔵など、多くのお地蔵様をおまつりしていることから、「お地蔵さんの寺」として知られています。
ここが壬生塚の入口です。
参拝料は100円です。
お堂を抜けると、池があり、その池の中州に壬生塚があります。
赤い橋を渡ると、何やら石碑が見えます。
『あゝ新選組』の歌碑です。
歌うは昭和の大歌手・ミッチーこと三橋美智也さん。
・・・スミマセン、生まれてないので知りません。
ヒットしたんでしょうか?
奥に誰かの胸像が見えます。
これがその胸像です。
香取慎吾さん・・・じゃなかった、泣く子も黙る新選組局長の近藤勇です。
前から思っていたのですが、サッカー日本代表ゴールキーパーの川島永嗣選手に似てませんか?
胸像の横には近藤勇の遺髪塔があります。
胸像のもう一方の横には、新選組ファンが書いた絵馬がずらり。
こちらは、芹沢鴨と平山五郎の墓。
新選組の内部抗争によって近藤一派に芹沢鴨が暗殺された話は有名ですが、そのとき一緒に殺された平山五郎は、あまり知られていません。
平山は芹沢と同じく水戸藩出身で、副長助勤を務めていました。
芹沢と平山の墓の横には、隊士7名の合祀墓があります。
祀られているのは、阿比原栄三郎、田中伊織、野口健司、奥沢栄助、安藤早太郎、新田革左衛門、葛山武八郎の7人。
あまり有名じゃない人ばかりですね。
このうち、奥沢、安藤、新田は池田屋事件で討死したといわれ、野口と葛山は規律違反で切腹、阿比原と田中は詳細不明です。
多数の隊士が命を落としていったなかで、なぜ、この7人が合祀されているのか不明です。
そして、こちらは勘定方の河合耆三郎の墓。
この人は、新選組を題材にした物語ではよく採り上げられる人物なので、有名ですね。
帳簿で不始末を起こして切腹させられたといわれますが、粛清に至る経緯は諸説あって定かではありません。
こちらは慰霊塔。
そして、こちらは顕彰碑です。
ここ壬生寺の境内では、新選組の兵法調練場に使われたといい、また、ここで隊士が壬生狂言を観賞したり、新選組が相撲興行を壬生寺で企画し、寺の放生池の魚やすっぼんを採って料理し、力士に振る舞ったという逸話も残っているそうです。
また、一番隊組長の沖田総司が、境内で子供たちを集めて遊んでいた、なんて話も。
新選組にとって、ここ壬生寺は憩いの庭のような場所だったのかもしれません。
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by sakanoueno-kumo | 2018-07-26 23:12 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)