江戸城を歩く。 その1 「和田倉門~巽櫓~桔梗門」
東京のド中心部にある天皇陛下のお住まい、皇居。
江戸時代は徳川幕府の政庁・江戸城だったことは誰もが知るところだと思います。
ただ、そのすべてが皇居となっているわけではなく、皇居として使用されているのはかつての西の丸のみで、江戸城の中心部にあたる本丸、二の丸、三の丸の一部は、皇居東御苑として一般公開されています。
過日、東京を訪れた際、丸1日フリーの日が出来たので、じっくり時間をかけて江戸城を歩いてみました。
皇居1周は約5kmで、都民のランニングコースとして親しまれていますが、実は、現在の皇居を囲う濠はかつての内濠で、徳川時代の江戸城の外郭は、西は四谷から東は浅草まで、北は水道橋から南は虎ノ門までありました。
面積にして約230万㎡、とてつもなく広い面積を誇る日本最大の城だったんですね。
幕府の政庁ですから、日本最大でなければならなかったのでしょう。
江戸城の歴史は、長禄元年(1457年)に太田道灌が築城した居城に始まるといわれています。
その頃の江戸城はごく小さな城でした。
その後、豊臣秀吉より小田原北条氏の旧領を与えられた徳川家康が江戸に入り、荒廃していた道灌の城を改築して居城としますが、当時の徳川家は豊臣政権下の一大名に過ぎず、規模もそれほど大きくなく、家康の性格もあって質実剛健なつくりだったといいます。
慶長8年(1603年)に家康が幕府を開くと、天下普請と称して全国の諸大名に散財させ、大坂城に負けない豪壮な城の拡張に着手し、やがてその事業は2代将軍・徳川秀忠、3代将軍・徳川家光に引き継がれ、寛永13年(1636年)に内外郭合わせてほぼ全容を完成させました。
それが、皇居として現在に伝わる江戸城です。
写真はJR東京駅から大手筋をまっすぐ西へ歩いたところにある和田倉門と和田倉橋です。
和田倉橋を渡ります。
この橋より内側は、大手門や桔梗門(内桜田門)から入場する大名や武士が通行する橋で、一般人は通ることができませんでした。
橋を渡ると、枡形虎口になっています。
ここ訪れたのは平成30年(2018年)4月7日、ソメイヨシノはだいぶん散っていましたが、この桜は満開でした。
八重桜かな?
桜の横に櫓台跡、向こうに聳えるのはパレスサイドホテル。
桜の向こうに櫓が見えます。
こちらがその櫓。
「巽櫓」です。
別名「辰巳櫓」「桜田櫓」「桜田巽二重櫓」とも言います。
江戸城に現存する唯一の隅櫓です。
かつて江戸城には多くの櫓がありましたが、現在残っているのは、西の丸の伏見櫓、本丸の富士見櫓、そして、ここ三の丸の巽櫓の3つだけです。
狭間や石落としが備わっている実戦的な櫓です。
関東大震災で損壊したのち、解体して復元されたそうです。
前の濠は、桔梗濠。
濠の奥に見えるのが桔梗門で、その向こうに見える櫓は、本丸南の富士見櫓です。
こちらが桔梗門です。
桔梗門は慶長19年(1614年)に造られたそうで、門名の由来は、最初に江戸城を築いた太田道灌の時代に、この近くに泊船亭があったと伝えられ、道灌の家紋の桔梗紋から付けられたといわれているそうです。
別名、「内桜田門橋」とも呼ばれています。
こちらが本丸南の富士見櫓。
富士見櫓は明暦の大火(1657年)で天守とともに焼失しましたが、その後、再建。
天守が再建されなかったため、富士見櫓が天守の代用として使用されたと言われています。
江戸時代、将軍がここから富士山や品川の海を眺めたと伝えられます。
さすがに江戸城はデカイ!
次稿に続きます。
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by sakanoueno-kumo | 2018-11-30 00:11 | 東京の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)
まさに「おのぼりさん」です(笑)。
東京に行くことは珍しくありませんが、そのほとんどが仕事で観光などする間もなく帰ってきます。
このときは、最初からプライベートの時間を2日間作っていたので、堪能してきました。
ちなみに、千葉道場跡も行ってきましたよ(笑)。