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西郷どん 第45話「西郷立つ」その1 ~神風連・秋月・萩の乱~

 明治2年(1869年)の版籍奉還から明治4年(1871年)の廃藩置県によって武士は一律士族とされ、藩士としての知行を失いますが、そこで士族たちはいきなり収入がなくなったわけではなく、しばらくは明治政府から知行の代わりに家禄が支給されていました。この家禄は、武士時代の知行に比べると大幅な減額だったのですが、武士時代と違って藩の職務はありませんから、その間に商売をはじめたり、家禄で土地を買って農業をはじめたりと、新たに身を立てるための猶予期間を与えていたんですね。いわば武士時代の年金のようなものだったでしょうか。政府としては、いきなり侍をバサッとリストラしたわけではなく、段階的処置を施していたわけで、決して士族の失業に対して無策だったわけではありませんでした。


西郷どん 第45話「西郷立つ」その1 ~神風連・秋月・萩の乱~_e0158128_15131733.jpgところが、これが国家財政の30%を占め、財政圧迫の大きな要因となります。これに苦慮した政府・内務卿の大久保利通は、明治9年(1876年)、とうとう俸禄支給の廃止に踏み切ります。いわゆる「秩禄処分」ですね。これによって士族は完全に収入源がなくなったわけです。家禄支給の間にうまく次の生き方にシフトできた者は良かったのですが、いかんせん役人上がりですから、上手く転職できない例も少なくなく、没落する者も出てきます。さらに、同じ年、大久保は追い打ちをかけるように「廃刀令」の発布を決断しました。軍人と警察官以外は帯刀を許さないという法令ですね。これは、士族たちにとってはとうてい受け入れ難い措置でした。収入を失った上に、士族の名誉の象徴「武士の魂」までも奪われたわけですから、彼らの怒りは頂点に達します。


 明治9年(1876年)10月24日、熊本で太田黒伴雄を中心とする「神風連」と名のる熱狂的な攘夷主義士族の一団約200人が決起。彼らは県庁と兵営を襲撃し、県令の安岡良亮、鎮台司令長官の種田政明らを殺害します(神風連の乱)。暴動はただちに鎮圧されましたが、つづいて同月27日、福岡県の旧秋月藩士族・宮崎車之助らが、400人の同志を結集して神風連に呼応します。しかしこれも、乃木希典率いる小倉鎮台によって鎮圧され、多くが戦死、斬首になります(秋月の乱)


 西郷どん 第45話「西郷立つ」その1 ~神風連・秋月・萩の乱~_e0158128_21395944.jpgさらに時を同じくして10月28日には、山口県の萩で前原一誠が200人余りを率いて挙兵します。前原は吉田松陰の開いた松下村塾の門下生で、幕末には久坂玄瑞高杉晋作らと共に討幕運動で活躍し、維新後は政府の参議、兵部大輔を務めたほどの人物でした。しかし、政府の商人と結託する不潔と官僚主義に反感を持ち、さらに、徴兵令に反対して同藩の先輩である木戸孝允とも衝突したため、明治3年(1870年)、いっさいの官職を辞めてに帰郷し、やがて山口県の不平士族の首領となっていきます。そして神風連の決起に呼応するかたちで兵を挙げ、一時は500人を超えた前原党でしたが、結果は三浦梧楼少将率いる広島鎮台などによって鎮圧され、前原は出雲に落ち延びる途中で捕らえられ、萩にて斬首されます(萩の乱)


 こうして暴動は瞬く間に鎮圧されましたが、しかし、政府要職の経験もあり、士族仲間の徳望が高かった前原の叛乱は、政府にとってはかなりの脅威でした。そして政府は、おそらくこのつぎにくるものは、士族の大棟梁・西郷隆盛をかつぐ大叛乱であろうと予想します。そのため、西郷の身辺には、常に政府の密偵がつきまとっていました。

明日の稿に続きます。



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by sakanoueno-kumo | 2018-12-03 21:45 | 西郷どん | Trackback | Comments(0)  

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