2017年 03月 01日 ( 1 )

 

太平記を歩く。 その20 「奉建塔」 大阪府南河内郡千早赤阪村

「楠公生誕地」碑から南へ徒歩3分ほどのところに、楠公没後600年祭記念として昭和15年(1940年)に建てられた「奉建塔」があると聞き、訪れてみました。


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丘の上の森の上に、白い雲に突き出るように塔の頭がのぞいているのがわかるでしょうか?


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青空が美しいですね。


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ここは、1~2月には約5万本のニホンスイセンが咲く「スイセンの丘」になるそうで、春には、桜の名所としても知られているそうですが、わたしが訪れたこの日は初夏の7月3日。

かろうじてアジサイが綺麗でした。


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で、丘の上に建つ「奉建塔」です。

ど、ドでかい!!


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奉建塔は徳島県の画家で楠公崇拝者であった森下白石という人が発起人となり、全国の小、中、青年学校の児童生徒、教師などから、当時の金で10余万円の寄附を集めて建設したそうです。

塔の高さは43尺(約13m)あり、これは、楠木正成戦死した年齢に因んでいるそうです。

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塔柱および基礎は鉄筋コンクリートで、その表面には花崗石を積み、その重さは最大1300貫(4876kg)あり、当時の技術では相当の難工事だったようです。

工事着手は昭和11年(1936年)1月、竣工は昭和15年(1940年)5月15日でした。


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上部の「菊水」は楠木家の家紋。

その下に刻まれた「非理法権天」の文字は、「非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たず」という意味の漢詩で、正成が旗印として用いたと言われています。


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塔の下段には、頼山陽『日本外史』による楠公をたたえる句(漢文)が刻まれています。


「大楠公於笠置奉答後醍醐天皇之辞」(大楠公笠置に於いて後醍醐天皇に奉答するの辞)


時代は折しも第二次世界大戦に向けて緊張しはじめていた時期、皇国の忠臣として崇め奉られていた楠木正成の没後600年祭は、国民の精神高揚のために大いに政治利用されたであろうことは想像に難しくありません。

この塔が教育者たちの寄付でできたという事実も、当時の教育機関の事情を知ることができます。

戦後、日教組が頑なに左翼的思想に傾倒していくのも、こういった歴史があったからなんですね。

この「奉建塔」は、楠公関連史跡というより、昭和の皇国史観の史跡といえるでしょうか。


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「奉建塔」の建つ丘の上から南を望みます。

青空と緑が美しいですね。

左に見える山が、山頂に上赤坂城跡のある山です。



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by sakanoueno-kumo | 2017-03-01 19:50 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(2)