2017年 03月 15日 ( 1 )

 

太平記を歩く。 その27 「二上山城跡」 大阪府南河内郡太子町と奈良県葛城市の境界

奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町にまたがる二上山の山頂にあったと伝わる二上山城跡を訪れました。

旧令制国名でいえば大和国と河内国の国境にあたり、元弘2年(1332年)に楠木正成が築いたとされる楠木七城のひとつとする説がありますが、確証はありません。

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金剛山地北部に位置し、北方の雄岳(517m)と南方の雌岳(474m)の2つの山頂がラクダのコブのように並ぶ山で、現在は金剛生駒紀泉国定公園の区域に指定されています。


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二上山への登山ルートは複数ありますが、神戸から来たわたしは、山の西側、つまり大阪側から登ります。


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このあたり一帯は「万葉の森」と名付けられて公園整備されています。

河内郡太子町といえば聖徳太子ゆかりの地として、8世紀頃の古代遺跡が数多くあります。


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登山道は険峻なコースと整備されたハイキングコースがありますが、この日の往路はハイキングコースで。


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登山道途中にある石切場跡

奈良県明日香村にある有名な高松塚古墳の石山は、ここで採れた二上山凝灰岩が使用されているそうです。


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ここから、岩屋史跡を経由するコースを選びます。


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ここが、その岩屋遺跡

この遺跡は奈良時代の石窟寺院跡で、間口7m、奥行き5m、高さ6mの石窟です。

中央に建つ蔦が絡んだ石造りのものは、三重の塔です。

ここは、奈良時代に藤原豊成の娘・中将姫にまつわる逸話が残る場所ですが、長くなるのでまた別の機会に。


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岩屋跡に設置された年表看板では、「楠木正成が河内七城のひとつ二上山城を創る(弘安九)」と断定しています。


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岩屋跡の向かいには、樹齢約600年と言われる杉の巨木が横たわっています。

根回り約8mのこの杉は、最近までその樹勢を保っていたそうですが、平成10年(1998年)の台風で倒れてしまったのだとか。


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こちらの看板には、樹齢千年と書かれています。

あるいは、二上山城が築かれた当時を知っていたかもしれません。


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岩屋を後にすると、さらに山頂を目指して登ります。


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途中、ふり返ると、西に「その24」で紹介した嶽山城(龍泉寺城)跡が見えます。


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拡大します。


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登山を初めて約40分、標高474mに雌岳山頂につきました。

この日は10月30日の小春日和で、山頂は多くのハイカーさんで賑わっていました。


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山頂にある万葉の句碑


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山頂から見た北西の眺望です。

空気の澄んだ日は神戸の六甲山系まで見えるそうですが、この日は霞んで見えませんでした。


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拡大すると、あべのハルカスが見えます。


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南側には金剛山系が連なります。


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西側には奈良県飛鳥地方が一望できます。

なるほど、河内国から大和国をほぼ360度近く見渡せるわけですね。

正成でなくとも、ここは拠点として抑えておきたい場所です。


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しかし、二上山城があったとされるのは雄岳の山頂。

そのまま北側尾根伝いに雄岳を目指します。


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雄岳山頂近くまで登ると、土塁跡らしき遺構と思われる地形が見られ始めます。


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標高517mの雄岳山頂につきました。


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本丸跡と思われる山頂は、東西に細長い削平地となっています。


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こちらは、山頂に鎮座する二上神社


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二上山城は楠木正成が築いたと言われる説の他に、室町時代初期に河内国守護となった畠山氏高屋城の支城として築いたという説もあるそうです。


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本丸跡の東側の一段下がった二ノ丸跡と思われる場所には、大津皇子があすます(異説あり)。


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大津皇子は天武天皇(第40代天皇)の第3皇子で、天武天皇の死後、皇位継承争いのなかで謀反の疑いをかけられ、24歳の若さで自刃に追い込まれた悲劇の皇子です。


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現在は宮内庁の管理下にあり、中に入ることはできません。


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下山は険峻なコースを選びました。


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道中にある鹿谷寺跡

鹿谷寺は8世紀に造られたとされる凝灰岩の岩盤を掘り込んで作られた大陸風の石窟寺院です。


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中国大陸には敦煌龍門石窟など、数多くの石窟寺院が見られるそうですがが、奈良時代にまでさかのぼる本格的な石窟寺院は、日本ではここ以外には知られていないそうです。


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写真は寺跡の中心にある十三重の石塔


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その奥の岩窟の壁には、線刻の三尊仏坐像がかすかに浮かんでいます。


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さて、今回は太平記と直接関わりのない稿でしたが、ずいぶん長くなっちゃいました。

これで、金剛山系の正成に関連する城跡は、全て制覇したと思います。

が、シリーズはまだまだ続きます。



「太平記を歩く。」シリーズの、他の稿はこちらから。

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by sakanoueno-kumo | 2017-03-15 22:17 | 太平記を歩く | Comments(0)