2017年 04月 06日 ( 1 )

 

太平記を歩く。 その36 「太山寺・太山寺城跡」 神戸市西区

神戸市西区にある太山寺を訪れました。

ここは、霊亀2年(716年)、元正天皇(第44代天皇)の勅願寺として藤原鎌足の子・藤原定恵が開山し、孫の藤原宇合が建立したと伝わる寺で、南北朝時代に建てられたとされる本堂国宝に指定されており、神戸市内ではもっとも由緒あるお寺です。


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この太山寺が、「その29」で紹介した「摩耶山合戦」と、深く関わっていたといいます。


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元弘3年(1333年)2月、赤松則村(円心)の挙兵を知った後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)の皇子・大塔宮護良親王は、ここ太山寺の衆徒に赤松応援を命ずる令旨を出しました。

令旨とは皇太子、皇后、親王などが発する文書のことです。


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この令旨は現存するそうで、現在、太山寺に保管されているそうです。

それによれば、「今月二十五日寅一点に軍勢を率いて、当国赤松城に馳せ参ぜしむべし」と記されており、これを受けた同寺の衆徒は、さっそく摩耶山城に陣を布く赤松軍に加勢します。


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現存する太山寺衆徒の軍忠状によれば、赤松軍に加わった太山寺衆徒は、多くの死傷者を出しながらも、摩耶山の合戦、尼崎の合戦、坂部村の合戦を戦い、さらに京都まで攻め上ります。


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この時代、大きな寺院では多くの僧兵をかかえ、時として合戦に参加することもありました。

寺院に求められたのは、戦勝祈願の祈祷と戦力でした。

寺院にとっても、時の権力と結びついて、祈祷と戦功による恩賞としての所領を獲得しなければ、寺を運営していけない現実がありました。


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寺の東の背後の山上には、太山寺城跡があります。


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城跡への登山道には、古い石仏が連なるように並んでいます。


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堀切跡でしょうか?


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郭跡らしき山頂の削平地には、大きな石仏が建てられていました。

ここが本丸跡だとしたら、比較的小さな規模の城だっただろうと思われます。


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鎌倉幕府の滅亡に一役買った太山寺は、その後、多くの末寺をかかえ、寺内には、41もの支院や僧坊を数えましたが、やがて時代とともにその力を失っていき、現在は五つの支院を残すだけとなっています。


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現在の太山寺は、そんな往時を偲ぶものものしさは少しもなく、桜や紅葉の名所として、市民に広く親しまれています。




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by sakanoueno-kumo | 2017-04-06 19:04 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)