2017年 06月 16日 ( 1 )

 

太平記を歩く。 その70 「慶雲寺」 神戸市須磨区

前稿の宝満寺につづいて、この時期の足利尊氏にまつわる伝承が残る寺院が神戸市内にもう1ヵ所あります。

湊川の戦いの舞台からはちょっと離れているのですが、須磨区車にある慶雲寺です。


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その伝承によると、湊川の戦いのとき、足利尊氏軍の軍勢の近くに一人の僧侶が現われ、その僧が尊氏めがけて飛んでくる幾本もの矢を空中で受け止めては投げ捨ててくれたといいます。

そのおかげで、味方をまったく傷つかずにすみ、尊氏軍の勝利に終わりました。

尊氏は戦勝後、その僧を日ごろ信仰してきた兵庫にある魚御堂地蔵の化身と考え、矢拾い地蔵としてここ車の地に移し、その仏像を祀る寺として善福寺を創建しました。

魚御堂は、平清盛が魚を供養するために建てた寺です。

その後、善福寺は明治20年(1887年)に慶雲庵と合併して、慶雲寺となりました。


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もちろん、この話も伝承の域を出ず、にわかに信じられる話ではありません。

ですが、寛政8年(1796年)に刊行された『摂津名所図会』という江戸時代の観光ガイドブックの文を引用すると、


「善福寺中村にあり。妙法寺より十町ばかり北なり。真言宗。本尊矢拾地蔵、長五尺二分。建武年中、足利尊氏公兵庫合戦の時、この本尊を信仰ありしゆゑ、応験ありて一法師と現れ、敵より射る矢を宙にて拾ひ味方の勝利としたまふゆゑにこの名を呼びけり。旧地は兵庫南浜魚御堂なり。」


とあります。

少なくとも、寛政時代には、この伝承はあったようですね。


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境内から見下ろした景色です。

湊川の戦いの舞台となった場所は、山の向こうです。

残念ながら、昭和28年(1953年)の火災によって、矢拾い地蔵は焼失したそうです。

次回に続きます。



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by sakanoueno-kumo | 2017-06-16 01:46 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)