2017年 09月 06日 ( 1 )

 

太平記を歩く。 その117 「小黒丸城跡」 福井県福井市

日野川の戦いに勝利した新田義貞軍は、越前国府を占領します。

『太平記』では、この報が越前国中に伝わると、足利方の73の出城が降伏を申し出たと伝えます。

気運に乗った義貞は、越前国を完全掌握するため北上。

足利方で越前国守護の斯波高経の籠る小黒丸城を包囲します。


e0158128_18304464.jpg

現在、小黒丸城は住宅地田園のなかに石碑が立つのみで、遺構などは残っていません。


e0158128_18304883.jpg

小黒丸城は黒丸城ともいい、足利方の足羽7城のなかの本城とされています。

足羽7城は諸説ありますが、勝虎城、藤島城、波羅蜜城、安居城、江守城、北庄城、そしてここ小黒丸城のことをいいます。


e0158128_18305239.jpg

『太平記』巻20によると、延元3年/建武5年(1338年)5月2日、新田義貞は自ら6千余の兵を率いて府中に出陣し、足羽7城への攻撃を開始しました。

しかし、小黒丸城は容易には落ちません。


e0158128_18305686.jpg

高経の築いた足羽7城は実に巧妙な連携体制が整えられていたといわれ、ひとつの城を攻撃すると、他の城から出撃した兵が背後を襲う陣形になっており、戦いは一進一退を繰り返しながら長期化します。


e0158128_18305910.jpg

そして3ヵ月が過ぎた閏7月2日、ここ小黒丸城を包囲していた義貞は、別動隊が攻めていた藤島城がいつまでも落城しないため、わずか50騎を従えて偵察に向かいます。

その道中、足利方の軍勢に出くわし、討死するんですね。


e0158128_18310372.jpg
e0158128_18310732.jpg

小黒丸城跡と夕日です。


e0158128_18311072.jpg

義貞の死の翌年、弟の脇屋義助が再び挙兵して小黒丸城を攻めると、斯波高経は黒丸城を捨てて加賀へ逃れたといい、その後、小黒丸城は廃城となります。



「太平記を歩く。」シリーズの、他の稿はこちらから。

 ↓↓↓

太平記を歩く。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
   ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

[PR]

by sakanoueno-kumo | 2017-09-06 13:18 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)