2017年 09月 20日 ( 1 )

 

太平記を歩く。 その127 「金峯山寺・蔵王堂」 奈良県吉野郡吉野町

世界遺産に登録されている吉野山のなかで、シンボル的存在がここ金峯山寺です。

創建は7世紀、開基は伝説の呪術者・役小角と伝わります。


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なかでも、本堂の蔵王堂はその象徴的建築物で、天武天皇(第40代天皇)の勅願によって建てられたともいわれます。


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蔵王堂は入「母屋造り」という建築様式で、正面5間(約9m)、側面6間(約11m)、高さ約34mと、日本の木造建築物としては東大寺大仏殿に次ぐ大きさを誇ります。


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さすがの大迫力です。


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現在でも修験道の根本道場として多くのひとびとの崇敬を集めている蔵王堂ですが、特に平安時代から鎌倉時代には隆盛をきわめ、多数の堂塔が並び建ち、吉野大衆と称せられる大勢の僧兵が集まっていたといいます。


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長い歴史のあいだには何度も火災に遭い、寛治7年(1093年)、嘉禄元年(1225年)、文永元年(1264年)に焼失した記録があります。

その都度、強い信仰の力によって復興されてきましたが、正平3年(1348年)1月28日、足利軍の高師直による焼き討ちによって兵火にかかったときには、その再建に実に60年余りも要しました。


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『太平記』巻26「吉野炎上の事」では、

「さらば焼払へとて、皇居並卿相雲客の宿所に火を懸たれば、魔風盛に吹懸て、二丈一基の笠鳥居・二丈五尺の金の鳥居・金剛力士の二階の門・北野天神示現の宮・七十二間の回廊・三十八所の神楽屋・宝蔵・竃殿・三尊光を和げて、万人頭を傾る金剛蔵王の社壇まで、一時に灰燼と成ては、烟蒼天に立登る。浅猿かりし有様也。」

と、その惨状を嘆いています。


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ちなみに、その後も天正14年(1586年)にも失火によって焼失し、現在の蔵王堂は天正20年(1592年)に再建されたものです。

そして平成16年(2004年)7月、「紀伊山地の霊場と参詣道」のひとつとして、ユネスコの世界遺産に登録されました。




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by sakanoueno-kumo | 2017-09-20 22:56 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)