2018年 01月 06日 ( 1 )

 

太平記を歩く。 その177 「楠母神社跡」 大阪府富田林市

前稿で紹介した妣庵観音寺から府道209号線を挟んで東へ5分ほど歩いたところの丘の上に、かつて存在した「楠母神社」廃墟跡があります。

ここは、その名のとおり楠木正成の夫人・久子を祭神とした神社でした。


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入口には門柱の跡が残っていて、その側には「楠母神社創建の経緯」を記した扇型の石碑があります。


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以下、碑文。

楠母神社

大阪府南河内郡東條村矢佐利。

この地は贈正一位橘朝臣正成公夫人誕生の地なり。

楠公父子の誠忠古今を貫くも楠氏一門の節義天地を照らすもこれ偏に夫人内助の功に基づく。

真に夫人は日本婦人の亀鑑たり。

依って紀元二千六百年を期しこの聖地に神社を建立し永久に淑徳を讃仰し奉る。


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神社の創建は国粋主義の盛んな昭和15年(1940年)。

第二次世界大戦開戦の前年ですね。

皇国の忠臣の象徴だった楠木正成、楠木正行父子の「滅私奉公」を、として、そしてとして支えた久子の内助の功を讃えるための神社を、この時期に創建するということにどういう政治的意図があったかは想像に難しくありません。


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敷地は広大な面積だったようです。


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こちらは、「李王妃殿下が楠母会に賜った御歌」の碑。

李王妃殿下とは李方子妃殿下のことで、昭和天皇(第124代天皇)のお妃候補のひとりとして名前が取りざたされたこともあったそうですが、その後、日韓併合の政略結婚で、旧大韓帝国の皇太子と結婚した女性です。


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碑文。

皇紀二千六百年を記念し府下女学校生徒国民学校女児童は楠母神社本殿を大日本国防婦人会関西本部管内会員は拝殿を寄進し奉り、又茲に名誉本部長李王妃殿下の御歌を永への御訓へとして謹録す。

昭和十六年五月十日

大日本国防婦人会関西本部


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大日本国防婦人会とは、満州事変後、銃後の固めを急ぐ軍部の指導でつくられた軍国主義的婦人団体のこと。

戦前戦中を描いたドラマや映画などで、たすき掛けをして弱気な女性を鼓舞するおばちゃんたちが出てきますが、あの人たちのことです。


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社殿跡と思われます。


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狛犬が意外に傷まずに残っています。


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そして、こちらは、無残に放置された石像の残骸

久子とその息子たちでしょうか?


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見ようによってはご遺体にも見えなくもありません。

晴天の真昼間だったからいいようなものの、薄暗い日だったら気味が悪かったでしょうね。

地元の人も、気味が悪いといってあまりここに近寄らないとか。


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世の憂きも 辛きも忍ぶ 思いこそ 心の道の 誠なりけり


久子が詠んだとされる歌です。

悲しみも苦しみも耐え忍ぶ思いこそ、誠の道である・・・と。

本当に久子が詠んだんですかね?

久子を「日本女性の亀鑑」として、国威発揚に利用しようとした誰かが詠んだものなんじゃないですかね。


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楠母神社は終戦後もしばらく存在していたそうで、戦争未亡人戦災孤児たちの心の支えとなっていたようですが、後継者がなく、昭和50年代に取り壊されれたそうです。

その後、公園整備されるという話も出ていたそうですが、予算がつかず、宙に浮いたまま現在に至るのだとか。

入口にあった石碑の碑文の最後に、「永久に淑徳を讃仰し奉る」とありましたが、敗戦とともにその役目も終わったということでしょうか?


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ここは『太平記』の史跡というより、先の戦争の負の遺産といったほうがいいかもしれません。

久子本人も、自身の内助の功がこのようなかたちで後世に政治利用されたことは、本意ではなかったに違いありません。

その鎮魂のためにも、ここを後世に残すべく整備してほしいですね。




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by sakanoueno-kumo | 2018-01-06 21:20 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)