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カテゴリ:大坂の陣ゆかりの地( 52 )

 

大坂の陣401年記念ゆかりの地めぐり その41 ~豊臣秀頼首塚(清涼寺)~

約1年前、「大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり」と題して、40回に渡って大坂の陣関連史跡を紹介しましたが、今年、どうしてもシリーズに加えたい史跡を訪れる機会があり、大坂の陣401年目ではありますが、稿を起こしました。

その史跡とは、右大臣・豊臣秀頼首塚

京都市右京区嵯峨の清凉寺にあります。


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今年の秋、別の目的で嵐山界隈を訪れたのですが、目的地に駐車場がなかったため、たまたま近くにあった清凉寺の駐車場に車を停め、同寺の境内を通ったところ、何かの石碑が目に入り近づいたところ・・・。


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「秀頼公首塚」と刻まれています。

「秀頼」って、あの秀頼?

大坂城と共に散った秀頼の首塚が、なんで嵐山に?

そもそも、秀頼の首って城とともに灰になったんじゃないの?

・・・などと考えを巡らせながらスマホでググってみると、たしかにあの豊臣秀頼の首塚でした。


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ウィキペディア情報によると、昭和55年(1980年)、大坂城三ノ丸跡の発掘調査で人1人の頭蓋骨と別に首のない2人の骨、馬1頭の頭の骨が発見されたそうで、骨は人為的に埋葬されたものとみられ、頭蓋骨は20代男性のもので、顎に介錯されたとみられる傷や、左耳に障害があった可能性が確認されたそうで、年齢や骨から類推する体格から、秀頼のものではないかと推測されたのだとか。

その後、昭和58年(1983年)に、この地に埋葬されたそうです。

ぜんぜん知りませんでした。
でも、それだけの情報で秀頼の骨と断定するのは、いささか無理がある気もしますけどね。

20代の体格のいい武者など数多くいたでしょうし、仮に本当に秀頼の遺骨と知って埋葬されたのであれば、記録が残っていないはずがないんじゃないかと・・・。

そういうツッコミを入れるのは無粋かもしれませんが。


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傍らには、「大坂の陣諸霊供養碑」と刻まれた石碑があります。


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一方で、秀頼には俗説として生存説も数多く存在します。

有名なものとしては、秀頼は肥後熊本藩主の加藤家、もしくは大叔父の織田長益(有楽斎)の用意した舟の船倉に潜んで徳川方の追及をかわし、真田信繁(幸村)と共に薩摩国谷山に逃れたという説。

しかし、谷山では大酒を呑んでは暴れるため、領民には嫌われていたとか。

のちに秀頼が生存していることを幕府に訴え出た者がいたそうですが、「秀頼はもはや死んだも同然」ということで、不問に付されたと伝えられます。

また、秀頼が地元の女性との間に谷村与三郎という男子をもうけたとか、真田信繁(幸村)も鹿児島県頴娃町に隠れ住んだなどともいわれています。

現在、鹿児島市のJR指宿枕崎線谷山駅の近くに、秀頼のものと伝えられる墓碑があるそうです。

また、他の説としては、日出藩主・木下延俊の庇護を受け、宗連と号して45歳まで生きたという異説も残っています。

いずれも、信憑性に乏しい俗説ですけどね。


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上の写真は、大坂城山里丸に建つ、「豊臣秀頼・淀殿ら自刃の碑」です。

わずか21年の生涯のなかで、徳川家康との二条城会見のとき以外、大坂城の外に出ることは皆無だったといわれる秀頼。

その秀頼の墓が、大坂城から遠くはなれた嵐山の地にあるというのは、少し違和感を覚えなくもないです。

360年以上大坂城内に眠っていたのだから、そのまま城内に埋葬してあげられなかったのかなあと・・・。

なんとなく、居心地が悪そうに思えました。


以上、豊臣秀頼没後401年目に立ち寄った、秀頼首塚でした。




「大坂夏の陣ゆかりの地」シリーズの、他の稿はこちらから。

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大坂夏の陣ゆかりの地



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by sakanoueno-kumo | 2016-12-15 15:25 | 大坂の陣ゆかりの地 | Comments(2)  

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その40 ~伝・徳川家康の墓(南宗寺)~

シリーズ最終稿です。
徳川家康の墓所といえば、日光東照宮に立派な廟所がありますが、実は大阪府堺市にある南宗寺にも、家康の墓と伝えられる古い墓石があります。

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家康が死去したのは、大坂夏の陣から1年足らずが過ぎた元和2年(1616年)4月17日と言われていますが、ここ堺のまちには、家康は大坂夏の陣討死していたという伝承があります。
それによれば、夏の陣最終決戦の茶臼山の戦い真田信繁(幸村)の猛攻を受けた家康は、駕籠に乗って逃亡しますが、その途中、後藤又兵衛基次に駕籠の上から槍で突かれます。
その後、辛くも堺まで落ち延びますが、駕籠を開けてみると家康は絶命していた・・と。
しかし、混乱を避けるために家康の死はふせられ、家康とそっくりだった古川城主の小笠原秀政影武者として立て、家康の遺骸はここ南宗寺に埋葬された・・・と。
その墓が、これ。↓↓↓

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これが家康の墓?・・・と言いたくなるような、小さな墓石です。
碑文も何も刻まれていません。

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でも、それは極秘で建てられた墓だから、という理由は成り立たなくもないです。

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そんな荒唐無稽な話、にわかに信じられるはずがないと言いたくなりますが、この伝承には、いくつかの根拠があるんですね。
まずは、これ。↓↓↓

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「坐雲亭」という茶室の建物ですが、このなかに、元和9年(1623年)7月に第二代将軍・徳川秀忠が、同年8月に第三代将軍・徳川家光が参拝したことを記した板額が掛かっているそうです。

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なぜ、将軍が相次いでこの地を訪問したのか・・・。
通説では、大阪夏の陣の翌年に駿府城において死去した家康の遺体は、はじめ久能山に葬られ、一周忌を経た元和3年(1617年)春に日光東照宮に改葬されたと言われますが、本当は、ここ南宗寺から日光に改葬された・・・と、堺では伝わるそうです。
だから、秀忠、家光が相次いて来訪した・・・と。
そう言われれば、もっともらしい気もします。

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上の写真は南宗寺禅堂の屋根ですが、よく見ると・・・

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三葉葵の御紋ですね。
これが、徳川家の紋であることは説明するまでもないでしょう。
ここ南宗寺は三好氏の菩提寺なんですが・・・。

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その三好一族の墓です。
菩提寺のはずなのに、なぜか隅っこのほうに追いやられています。
で、境内のど真ん中にあるのが、これ。↓↓↓

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「徳川家康の墓」と刻まれています。

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この綺麗な墓石は近年建てられたものですが、第二次大戦時の空襲で焼ける前には、この場所に東照宮があったそうです。
墓堂の基礎部分は、東照宮時代のものだそうです。

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とまあ、そんな具合に、伝承にはそれなりの根拠があって、まったくもって荒唐無稽な話でもないんですね。
ただ、ツッコミどころはあります。
家康を槍で突いたとされる後藤又兵衛基次は、茶臼山決戦の前日の道明寺の戦いで討死していますし、堺のまちも、紀州攻めの途中に豊臣方の大野治胤らによって焼き払われており、この南宗寺も例外ではなかったと思われます。
面白い話ではありますが、やはり、伝承の域を超えるものではないでしょうね。

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でも、火のないところに煙は立たぬで、徳川方の誰かがこの地に葬られたのかもしれません。
で、ここからは、わたしの勝手な想像ですけど、討死してこの地に葬られたのは、家康の影武者の方だったんじゃないかと・・・。
だから、徳川家はその後、手厚く弔ったのではないかと・・・。
そう考えれば、二人の将軍が相次いで参ったことも、三葉葵の御紋も東照宮も、すべて説明がつくんじゃないかと・・・。
いかがでしょうか?

さて、9月から40回にわたってめぐってきた大坂の陣ゆかりの地シリーズ、その前の大坂城シリーズも入れれば約半年間お付き合いいただいた大坂の陣400年記念シリーズですが、本稿をもって終わりにしたいと思います。
なんとか大坂の陣400年記念の間に終われてよかった(笑)。
当ブログを見て興味を持たれた方は、ぜひ史跡をめぐってみてください。
自分の足で現地を歩いて、そのあと、小説やドラマを見返すと、面白さ倍増ですよ。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その1 ~三光神社(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その2 ~心眼寺(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その3 ~鴫野古戦場跡・佐竹義宣本陣跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その4 ~白山神社(本多忠朝物見のいちょう)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その5 ~野田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その6 ~本町橋~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その7 ~御勝山古墳(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その8 ~大和郡山城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その9 ~忍陵古墳・岡山城跡(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その10 ~徳川家康星田陣営跡・旗掛け松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その11 ~岸和田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その12 ~樫井古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その13 ~塙団右衛門直之の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その14 ~淡輪六郎兵衛重政の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その15 ~法福寺(お菊寺)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その16 ~大野治胤(道犬斎)の墓
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その17 ~今井宗薫屋敷跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その18 ~若江古戦場・木村重成の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その19 ~木村重成菩提寺・蓮城寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その20 ~木村重成本陣跡・銅像~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その21 ~木村重成表忠碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その22 ~山口重信の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その23 ~飯島三郎右衛門の墓・若江城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その24 ~長宗我部盛親物見の松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その25 ~常光寺・八尾城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その26 ~小松山古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その27 ~玉手山公園(道明寺古戦場)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その28 ~誉田古戦場・薄田隼人碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その29 ~真田幸村休息所跡・志紀長吉神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その30 ~権現塚・中村四郎右衛門正教宅跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その31 ~樋ノ尻口地蔵・全興寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その32 ~安藤正次の墓・願正寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その33 ~桑津古戦場跡・柴田正俊の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その34 ~茶臼山古墳古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その35 ~安居神社(真田幸村終焉の地)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その36 ~一心寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その37 ~玉造稲荷神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その38 ~方広寺大仏殿の梵鐘~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その39 ~淀殿の墓(太融寺)~


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by sakanoueno-kumo | 2015-12-29 15:54 | 大坂の陣ゆかりの地 | Comments(0)  

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その39 ~淀殿の墓(太融寺)~

大阪のド中心部・梅田のまちなかにある太融寺というお寺があるのですが、その境内の一角に、淀殿の墓と伝えられる墓石があります。
ここは空海(弘法大師)が創建したと伝わる由緒正しきお寺で、戦国時代は豊臣家ともゆかりが深かったそうですが、オフィス街のど真ん中にあるため、観光地という印象はありません。

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大坂城落城後、淀殿の墓は、東成郡鴫野村弁天島(現・大阪ビジネスパーク)にあった淀姫神社に安置されていたそうですが、明治10年(1877年)、弁天島全域が軍用地になるにあたって、豊臣家とゆかりが深かったこの寺に移されたそうです。
といっても、淀殿の遺骸は確認されていないとの説もありますし、遺骨が埋葬されているのかどうかはわかりません。

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右奥の六輪塔がそれです。
元は九輪塔だったそうですが、昭和20年(1945年)の空襲で破壊されてしまい、現在の六輪塔になったそうです。

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墓石の横には、藤見東陽という昭和の漢詩人が詠んだ詩碑があります。
石碑の石は、淀殿が生まれた小谷城ゆかりの石だそうです。

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碑文の読み下しです。

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石碑に埋め込まれた銘盤です。
法名を「大淀院英岩」というそうです。(寺伝)

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物語などでは、関ヶ原の戦い高台院と淀殿の戦いだったように描かれることも多く、また、大坂の陣においても、大坂方の実質的大将は豊臣秀頼ではなく淀殿だったように描かれたりします。
実際のところはどうだったのでしょうね。
いずれにせよ、日本史上、彼女ほど壮絶な生涯を生きた女性は、他にいないといっても過言ではないでしょう。
京都の高台寺に高台院の立派な霊廟があることを思えば、ここ太融寺の片隅にひっそりと埋葬されている淀殿の墓は、何とももの悲しげに思えました。
ちなみに、ここ太融寺も大坂の陣の際に全焼したそうで、その後、元禄年間に再建されたそうです。

さてさて、ようやく次稿でシリーズ最終稿。
最後は、あの人の墓を参ります。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その1 ~三光神社(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その2 ~心眼寺(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その3 ~鴫野古戦場跡・佐竹義宣本陣跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その4 ~白山神社(本多忠朝物見のいちょう)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その5 ~野田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その6 ~本町橋~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その7 ~御勝山古墳(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その8 ~大和郡山城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その9 ~忍陵古墳・岡山城跡(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その10 ~徳川家康星田陣営跡・旗掛け松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その11 ~岸和田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その12 ~樫井古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その13 ~塙団右衛門直之の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その14 ~淡輪六郎兵衛重政の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その15 ~法福寺(お菊寺)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その16 ~大野治胤(道犬斎)の墓
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その17 ~今井宗薫屋敷跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その18 ~若江古戦場・木村重成の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その19 ~木村重成菩提寺・蓮城寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その20 ~木村重成本陣跡・銅像~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その21 ~木村重成表忠碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その22 ~山口重信の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その23 ~飯島三郎右衛門の墓・若江城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その24 ~長宗我部盛親物見の松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その25 ~常光寺・八尾城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その26 ~小松山古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その27 ~玉手山公園(道明寺古戦場)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その28 ~誉田古戦場・薄田隼人碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その29 ~真田幸村休息所跡・志紀長吉神社~
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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その33 ~桑津古戦場跡・柴田正俊の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その34 ~茶臼山古墳古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その35 ~安居神社(真田幸村終焉の地)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その36 ~一心寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その37 ~玉造稲荷神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その38 ~方広寺大仏殿の梵鐘~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その40 ~伝・徳川家康の墓(南宗寺)~


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by sakanoueno-kumo | 2015-12-26 18:03 | 大坂の陣ゆかりの地 | Comments(0)  

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その38 ~方広寺大仏殿の梵鐘~

前稿で豊臣秀頼が修理した玉造稲荷神社を紹介しましたが、となれば、同じく秀頼が大修理を手がけた方広寺大仏殿の梵鐘を無視するわけにはいかないだろう、と思い至り、京都は東山まで足を運んできました。

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方広寺は、豊臣秀吉が奈良の東大寺に倣って大仏を安置するために、天正14年(1586年)から10年もの歳月をかけて造られた寺院ですが、慶長元年(1596年に)京都を襲った慶長大地震によって大仏は大破してしまったそうで、その後、秀吉は大仏開眼供養を待たずにこの世を去ります。

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で、そのあとの再建事業を行ったのが秀頼・淀殿母子でしたが、このとき鋳造した梵鐘に彫られた銘文が、徳川家を冒涜するものとされて徳川家康の怒りを買うんですね。
そちらの銘文がこれ。↓↓↓

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「国家安康」の字句が、家康の名を分割し首を切断することを呪詛したものだとし、「君臣豊楽」の文字が、豊臣家の繁栄を祈願しているとの分析。
いや~、みごとな言いがかり、ほとんどヤカラですね。
この事件は、豊臣家攻撃の口実とするため、徳川家がこの銘文を曲解して豊臣家に因縁を付けたものとされていますが、よく見つけたものです。

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この言いがかりで苦境に立たされたのが、方広寺の作事奉行を務めていた片桐且元でした。
このあと且元は、徳川家と豊臣家の関係をなんとか修復しようと奔走しますが、それがかえって豊臣方から逆心ありとの疑われるもととなり、最終的には、豊臣家を去ることになるんですね。(はじめから家康とグルだったという見方もありますが。)
そこまで家康が描いたシナリオだったのかどうかはわかりませんが、且元を敵に回したことが、豊臣家にとって大きな損失となったことは間違いないでしょう。

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鐘楼は明治時代に再建されたものだそうです。
この梵鐘は豊臣家が滅亡してから明治時代に新たな鐘楼が再建されるまで、現在の京都国立博物館付近に雨ざらしとなっていたそうです。
よく傷まずに銘文が残ってくれていたものですね。

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見てのとおり、デカイ鐘です。

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大仏殿及び大仏は、寛政10年(1798年)の落雷により焼失しています。
現在は巨大な石垣の一部だけが当時と変わらぬ姿で残っています。

もうすぐシリーズ終わりです。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その1 ~三光神社(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その2 ~心眼寺(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その3 ~鴫野古戦場跡・佐竹義宣本陣跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その4 ~白山神社(本多忠朝物見のいちょう)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その5 ~野田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その6 ~本町橋~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その7 ~御勝山古墳(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その8 ~大和郡山城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その9 ~忍陵古墳・岡山城跡(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その10 ~徳川家康星田陣営跡・旗掛け松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その11 ~岸和田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その12 ~樫井古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その13 ~塙団右衛門直之の墓~
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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その17 ~今井宗薫屋敷跡~
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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その27 ~玉手山公園(道明寺古戦場)~
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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その35 ~安居神社(真田幸村終焉の地)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その36 ~一心寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その37 ~玉造稲荷神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その39 ~淀殿の墓(太融寺)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その40 ~伝・徳川家康の墓(南宗寺)~


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by sakanoueno-kumo | 2015-12-24 15:43 | 大坂の陣ゆかりの地 | Comments(0)  

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その37 ~玉造稲荷神社~

大坂城南外堀から500mほど南下したところにある玉造稲荷神社に、豊臣秀頼の銅像があります。
ここはかつて、豊臣時代の大坂城の三の丸にあたり、その鎮守社として、豊臣家から篤い崇敬を受けた神社でした。
戦国時代の戦火で荒廃していましたが、慶長8年(1603年)3月、秀頼により社殿が再建されたと伝えられます。

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関が原の戦い以後、豊臣家は摂津・河内・和泉3カ国65万石余の一大名に転落したといわれますが、しかし、朝廷から賜る位階官職はその後も昇進を続けており、一定の影響力を保っていました。
徳川家康の孫娘・千姫と結婚したのも、慶長8年(1603年)のことです。
家康はこの頃から、婿となった秀頼に対して、秀吉の菩提を弔って畿内一円の社寺の修理を行うように勧めました。
ここ、玉造稲荷神社の修理も、その一貫だったものと思われます。

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なんか、バカ殿様っぽい顔をしていませんか(笑)。

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家康が二条城で成人した秀頼と会見したとき、その凛々しい風貌を見て、豊臣家を滅ぼす決意をしたといいますが、このバカボン顔でそう思うかな?・・・と(笑)。

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秀頼が奉納したと言われる鳥居です。
もとは本殿正面に建っていたそうですが、平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災によって一部損傷を受けたため、現在は上部、脚部に分けて境内の片隅に保存されています。
400年の歴史を刻む鳥居ですね。

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秀頼公胞衣塚大明神です。
ここには、秀頼と母・淀殿を結ぶ胞衣(卵膜、胎盤など)が鎮まっているそうです。

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大坂の陣とは関係ありませんが、境内には、千利休居士顕彰碑があります。
説明板によると、かつてここの南西に、千利休の屋敷があったそうです。

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家康が秀頼に社寺の修理を進めた理由は、豊臣家に散財させて経済力を削ぐためだったといわれますが、だとすれば、千姫を嫁がせたこの頃から、すでに大坂の陣は始まっていたといえるでしょうか。
そして、その一連の修理事業をすすめるなかで、大坂の陣の銃爪となった方広寺鐘銘事件へと繋がっていくんですね。

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秀頼によって再興された玉造稲荷神社の社殿は、大坂夏の陣の際に再び焼失し、その後、元和5年(1619年)に徳川幕府によって再建されたそうです。

もうちょっと続きます。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その1 ~三光神社(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その2 ~心眼寺(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その3 ~鴫野古戦場跡・佐竹義宣本陣跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その4 ~白山神社(本多忠朝物見のいちょう)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その5 ~野田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その6 ~本町橋~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その7 ~御勝山古墳(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その8 ~大和郡山城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その9 ~忍陵古墳・岡山城跡(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その10 ~徳川家康星田陣営跡・旗掛け松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その11 ~岸和田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その12 ~樫井古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その13 ~塙団右衛門直之の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その14 ~淡輪六郎兵衛重政の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その15 ~法福寺(お菊寺)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その16 ~大野治胤(道犬斎)の墓
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その17 ~今井宗薫屋敷跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その18 ~若江古戦場・木村重成の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その19 ~木村重成菩提寺・蓮城寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その20 ~木村重成本陣跡・銅像~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その21 ~木村重成表忠碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その22 ~山口重信の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その23 ~飯島三郎右衛門の墓・若江城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その24 ~長宗我部盛親物見の松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その25 ~常光寺・八尾城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その26 ~小松山古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その27 ~玉手山公園(道明寺古戦場)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その28 ~誉田古戦場・薄田隼人碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その29 ~真田幸村休息所跡・志紀長吉神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その30 ~権現塚・中村四郎右衛門正教宅跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その31 ~樋ノ尻口地蔵・全興寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その32 ~安藤正次の墓・願正寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その33 ~桑津古戦場跡・柴田正俊の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その34 ~茶臼山古墳古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その35 ~安居神社(真田幸村終焉の地)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その36 ~一心寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その38 ~方広寺大仏殿の梵鐘~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その39 ~淀殿の墓(太融寺)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その40 ~伝・徳川家康の墓(南宗寺)~


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by sakanoueno-kumo | 2015-12-22 13:43 | 大坂の陣ゆかりの地 | Comments(0)  

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その36 ~一心寺~

茶臼山古墳安居神社のあいだに、一心寺というバカでかいお寺があります。
ここは茶臼山とともに大坂冬の陣徳川家康が陣を布いたといわれますが、それ以前からも、夭折した家康の八男の葬儀がここで行われたりと、家康との結びつきが深い寺でした。

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境内には、大坂の陣で命を落とした武将たちの墓がいくつかあります。
その中でも、最も目立つ場所に陣取っているのが、最終決戦の茶臼山(天王寺)・岡山の戦いで最前線に立ち、討死した本多忠朝の墓所です。

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忠朝は「その4」物見のいちょうを紹介したように、大坂冬の陣でも活躍していましたが、を飲んでいたために不覚をとり、敵の猛攻に遭って敗退してしまいました。
それを家康に咎められた忠朝は、翌年の大坂夏の陣では、何としても汚名を返上しようと志願して先鋒を務め、毛利勝永軍に正面から突入して奮戦しますが、討死しました。

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死の間際、「戒むべきは酒なり、今後わが墓に詣でる者は、必ず酒嫌いとなるべし」と無念の言葉を残したといわれ、死後「酒封じの神」として知られるようになったそうです。
いつの時代も、酒で失敗する人は必ずいるものです。
現代でも、G7の会見に泥酔状態で臨み、財務相の職を退任に追い込まれた日本の恥がいましたよね。
もう亡くなられたので、名前は控えますが・・・。

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墓を囲う白壁には、無数のシャモジが吊られていました。
よく見てみると・・・。

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・・・ということで、禁酒の願掛けでした(笑)。
酒をひかえたいと考えている方は、どうぞここへお越しください(笑)。

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ほかにも大坂の陣がらみの墓所を探しました。

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上の写真は松平正勝の墓。
夏の陣、最終決戦で、徳川方・青山忠俊隊に属し、明石全登隊と戦い討死した人物です。

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続いて、同じく最終決戦で徳川方・高木正次隊に属し討ち死にした、林吉忠の墓。

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続いてこちらは、夏の陣で戦死した篠山藩士14人の墓。
石塔部分だけ、最近建てなおされたようですね。

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大坂の陣関連以外でも、一心寺には歴史に名を残した人物の墓がたくさんあります。
墓地からはご覧のとおり、通天閣が目の前に見えます。
そんな都会のど真ん中に、兵どもが眠っています。

そろそろ終わりが見えてきました。
なんとか400年記念の間に終わらねば・・・。
次回に続きます。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その1 ~三光神社(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その2 ~心眼寺(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その3 ~鴫野古戦場跡・佐竹義宣本陣跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その4 ~白山神社(本多忠朝物見のいちょう)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その5 ~野田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その6 ~本町橋~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その7 ~御勝山古墳(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その8 ~大和郡山城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その9 ~忍陵古墳・岡山城跡(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その10 ~徳川家康星田陣営跡・旗掛け松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その11 ~岸和田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その12 ~樫井古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その13 ~塙団右衛門直之の墓~
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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その16 ~大野治胤(道犬斎)の墓
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その17 ~今井宗薫屋敷跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その18 ~若江古戦場・木村重成の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その19 ~木村重成菩提寺・蓮城寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その20 ~木村重成本陣跡・銅像~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その21 ~木村重成表忠碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その22 ~山口重信の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その23 ~飯島三郎右衛門の墓・若江城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その24 ~長宗我部盛親物見の松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その25 ~常光寺・八尾城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その26 ~小松山古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その27 ~玉手山公園(道明寺古戦場)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その28 ~誉田古戦場・薄田隼人碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その29 ~真田幸村休息所跡・志紀長吉神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その30 ~権現塚・中村四郎右衛門正教宅跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その31 ~樋ノ尻口地蔵・全興寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その32 ~安藤正次の墓・願正寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その33 ~桑津古戦場跡・柴田正俊の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その34 ~茶臼山古墳古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その35 ~安居神社(真田幸村終焉の地)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その37 ~玉造稲荷神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その38 ~方広寺大仏殿の梵鐘~
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by sakanoueno-kumo | 2015-12-20 12:09 | 大坂の陣ゆかりの地 | Comments(0)  

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その35 ~安居神社(真田幸村終焉の地)~

茶臼山古墳のすぐ北にある安居神社は、真田信繁(幸村)が最期を遂げた場所です。
茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)での激戦のすえ、疲労した信繁がこの地で休息をとっていたところ、松平忠直隊鉄砲組頭の西尾宗次に発見され、討ち取られました。
享年49歳(異説あり)。

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ここは大阪の象徴・通天閣からほど近い場所です。

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また、先ごろ竣工したばかりの日本一高いビルで知られるハービス大阪がすぐそこに見える場所でもあります。

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そんな繁華街のど真ん中に、「真田幸村終焉の地」と書かれた看板と石碑が見えます。

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境内には、戦死跡之碑が建てられています。

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三光神社の勇ましい像とは違って、まさに死を覚悟して休息している穏やかなイメージですね。

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「さなだ松」だそうです。

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信繁は境内の一本松の下で死んだと伝えられます。
当時の松はすでに枯死してしまい、この樹は昭和26年(1951年)に植樹されたものだそうです。

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伝承によると、信繁はこの地で発見されたとき、「わしの首を手柄にされよ」といって討ち取られたといいます。
もともと勝ち目のない戦いであることは覚悟の上だったでしょうから、人生の最期を武士らしく終えることが出来て、本望だったにちがいありません。

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慶長20年(1615年)5月7日、信繁が討ち取られたことで豊臣軍の勝利は絶望的となり、この日の深夜に大坂城は落城します。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その1 ~三光神社(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その2 ~心眼寺(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その3 ~鴫野古戦場跡・佐竹義宣本陣跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その4 ~白山神社(本多忠朝物見のいちょう)~
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by sakanoueno-kumo | 2015-12-11 16:40 | 大坂の陣ゆかりの地 | Comments(0)  

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その34 ~茶臼山古墳古戦場跡~

現在、天王寺公園内にある茶臼山古墳は、慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では徳川家康の本陣となり、翌慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では真田信繁(幸村)の本陣となって「茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)」の舞台となった場所です。
また、それ以前の歴史を見ても、1546年(天文15年)に細川晴元の家臣・山中又三郎がこの地に大塚城を築いたと伝えられ、舎利寺の戦いで落城したと言われます。
ここに限らず、古墳というのは陣城として使われやすいですから、数々の古戦場としての歴史を持っているものです。

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古墳の後円の横には、河底池という名称の大きな池があります。
たぶん、これがの役割を果たしていたのでしょうね。
現地説明看板によると、奈良時代の貴族・和気清麻呂が河内川の流水を南に引こうとして出来た池だそうです。

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その伝承からの由来で、池に架かる橋を「和気橋」と呼ぶそうです。

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橋をわたると、イラスト看板があります。

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立派な石碑(オブジェと言ったほうがいいかも)も建てられていました。

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慶長20年(1615年)5月7日、真田の赤揃えが陣を構える真田信繁(幸村)隊3千5百は、この日の正午すぎ、徳川方最強の松平忠直率いる越前勢1万5千と激突し、大坂夏の陣最大の激戦が、ここ茶臼山周辺で繰り広げられました。

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兵の数では歴然と劣る真田隊でしたが、高い戦意と捨身の攻撃で越前勢を突き破り、徳川家康の本陣目掛けて強行突破を図り、3度に渡って猛攻撃を仕掛け、あとわずかで家康の首に手が届くところまで攻め込んだといいます。
攻め込まれた家康は、2度も自害を口にしたとも伝えられますから、真田隊の猛攻がいかに激しかったかが想像できます。
このとき信繁が家康の首を取っていたら、歴史はどう変わったでしょうね。

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しかし、時間が経つに連れて数に優る徳川方が立ち直りを見せ、やがて真田隊は追い詰められていきます。
そして疲労した信繁は茶臼山の北にある安居天神で休息していたところ、越前兵により討ち取られました。

次回は真田信繁終焉の地となった安居神社を訪れます。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その36 ~一心寺~
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by sakanoueno-kumo | 2015-12-10 18:15 | 大坂の陣ゆかりの地 | Comments(0)  

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その33 ~桑津古戦場跡・柴田正俊の墓~

大阪市東住吉区桑津にある桑津天神社の南東隅の道路沿いに、「大阪陣戦歿将士慰霊塔」と刻まれた石碑があります。
ここは慶長20年(1615年)5月7日、大坂夏の陣の最終決戦の日に激戦の舞台となった地区でした。

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現地には説明看板がなく、桑津地区での戦いを詳細に伝えてくれる材料がないのですが、大坂夏の陣最大の激戦となった茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)の場所から1kmほどしか離れていない場所で、おそらく、ここも一連の戦いの舞台だったのでしょうね。

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近くには、福島正則の家臣・柴田権十郎正俊の墓があります。
福島正則は、大坂冬の陣、夏の陣ともに江戸留守居役を命じられて従軍していないので、おそらく、柴田正俊は正則の嫡男・福島忠勝に付き従っていたのか、あるいは、同じく正則の一族で豊臣方に与した福島正守・福島正鎮の配下に入ったのかもしれません。
ネットで調べてみると、正俊は徳川方蜂須賀九郎右衛門とこの地で闘い、九郎右衛門の首を討ち取るが、自らも重傷を負いこの地で自刃したとあります。
ということは、豊臣方に与していたということですね。

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墓は川沿いの細い路地を入ったところにあり、見つけるのがたいへんでした。
下の写真は川の対岸からのロケーションです。
民家と民家の間にひっそりとあるので、こうして見ても、史跡だとは気づきません。

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東住吉区のホームページでは、徳川家康が正則の大坂方への寝返りを警戒し、江戸城留守居役として正則の行動を封じ込めたので、柴田正俊が身代わりとなって、秀頼に味方したと紹介しています。
正則はのちに広島城を幕府に無断で改築した罪を問われて改易となりますが、大坂の陣で直属の家臣が豊臣方に与していた事実も、その後の正則の立場に少なからず影響していたかもしれません。

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現地の説明板によると、この地の南に正俊に打ち取られた九郎右衛門の五輪塔もあったそうですが、行方不明になったとあります。
だれがどこに持って行っちゃったのでしょうね。

次回に続きます。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その1 ~三光神社(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その2 ~心眼寺(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その3 ~鴫野古戦場跡・佐竹義宣本陣跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その4 ~白山神社(本多忠朝物見のいちょう)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その5 ~野田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その6 ~本町橋~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その7 ~御勝山古墳(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その8 ~大和郡山城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その9 ~忍陵古墳・岡山城跡(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その10 ~徳川家康星田陣営跡・旗掛け松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その11 ~岸和田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その12 ~樫井古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その13 ~塙団右衛門直之の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その14 ~淡輪六郎兵衛重政の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その15 ~法福寺(お菊寺)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その16 ~大野治胤(道犬斎)の墓
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その17 ~今井宗薫屋敷跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その18 ~若江古戦場・木村重成の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その19 ~木村重成菩提寺・蓮城寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その20 ~木村重成本陣跡・銅像~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その21 ~木村重成表忠碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その22 ~山口重信の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その23 ~飯島三郎右衛門の墓・若江城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その24 ~長宗我部盛親物見の松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その25 ~常光寺・八尾城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その26 ~小松山古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その27 ~玉手山公園(道明寺古戦場)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その28 ~誉田古戦場・薄田隼人碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その29 ~真田幸村休息所跡・志紀長吉神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その30 ~権現塚・中村四郎右衛門正教宅跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その31 ~樋ノ尻口地蔵・全興寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その32 ~安藤正次の墓・願正寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その34 ~茶臼山古墳古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その35 ~安居神社(真田幸村終焉の地)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その36 ~一心寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その37 ~玉造稲荷神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その38 ~方広寺大仏殿の梵鐘~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その39 ~淀殿の墓(太融寺)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その40 ~伝・徳川家康の墓(南宗寺)~


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by sakanoueno-kumo | 2015-12-09 17:53 | 大坂の陣ゆかりの地 | Comments(0)  

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その32 ~安藤正次の墓・願正寺~

樋ノ尻口地蔵の向かい側に、徳川方の武将・安藤次右衛門尉正次の墓があります。

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安藤正次は禄高二千石の旗本で、大坂夏の陣には旗本奉行として徳川秀忠に直属し、慶長20年(1615年)5月7日の大坂城落城直前、秀忠の使者として前田利常、本田康紀に、敵地へ肉薄するようとの命令を伝えた人物です。
そのとき、数騎の敵兵に出会うも単身馬を進めて戦い、豊臣方の首級をあげましたが、自らも深手を負い、家来に助けられて戻った本陣で、秀忠から高名したと賞され、宿舎である平野の願正寺に送られ治療をしていました。
しかし、ほどなく自身の再起不能を悟り、自刃します。
享年51歳

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五輪の墓塔は、世子・安藤正珍が平野郷を囲む環濠の土居上にて建て、願正寺を菩提寺としました。

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その願正寺は下の写真。
墓所から徒歩2~3分のところにあります。

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ここには、正次愛用の関ノ兼房の短刀が所蔵されているそうです。

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安藤正次という人物はあまり有名ではありませんが、こうして墓所が壊されずに残されているおかげで、後世にその名を伝えてくれます。

次回に続きます。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その1 ~三光神社(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その2 ~心眼寺(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その3 ~鴫野古戦場跡・佐竹義宣本陣跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その4 ~白山神社(本多忠朝物見のいちょう)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その5 ~野田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その6 ~本町橋~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その7 ~御勝山古墳(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その8 ~大和郡山城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その9 ~忍陵古墳・岡山城跡(徳川秀忠の陣跡)~
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by sakanoueno-kumo | 2015-12-04 17:19 | 大坂の陣ゆかりの地 | Comments(0)